口付けて、口内を探る。


犬歯は尖っていない。


そっと離れて、今度は瞼へ口付けた。


仕舞われているのは、漆黒のガラス玉。


大切な大切な、命の色。





口付けてもきない






必要最低限の物しか置いていない室内。
深い色のフローリング、それに合わせて揃えた木製の机と、ベッド。
その枕元に付き添うように座る弟の表情が、自分よりも憔悴していて少し笑ってしまった。


「サク」


入口の扉から呼ぶと、淡い紫の瞳がこちらを向く。


「お茶にしようか」


うちのお嬢様が大好物のスコーンを焼いたよ、と告げたけれど、彼は首を横に振って、再び枕元へ視線を戻した。
淡い水色のカーテンを透かして、日の光が部屋へ差し込む。
それに照らされた枕元には、漆黒の髪が煌いていた。


「サーク」


淡い紫、今度は振り向かない。


「そんなに見詰められてたら、マリだって緊張して起きれないよ。だから、お兄ちゃんのお茶に付き合って?」


自分より弱っている心を慮るのは、こんなにも容易い。
それなら、自分が強く在りさえすれば良いのか。

ふと思ったけれど、そう簡単なものではないか、と、打ち消した。


「ね?」


もう一度、ゆっくりとこちらを振り向く、沈んだ顔。
これじゃあお兄ちゃんは落ち込んでいられないね、と心の中で囁いて、苦笑してしまった。


「あと三分でお茶が入るよ」


最後にそう告げ、扉を閉じる。
そしてルームシューズに包まれた足を静かに運び、キッチンへ入った。
用意してあったティーポットへお湯を注ぎ、スコーンを乗せた大皿をダイニングテーブルへ持っていく。


いつもは使わない、三つ目の椅子。
弟がここ三日間使っているそれの背凭れへクッションを置いてやると、ティーポットとカップも運んできた。


ぴったり三分後。
弟が、彼女の部屋から出てくる。

それを確認すると、カップへ紅茶を注いだ。


「・・・カモミール」
「正解。何処かの誰かさんが、あまり眠れていないようだからね」


くすくす笑ってやると、弟の顔がまた歪む。

なるほど、僕が笑うとサクの顔が歪むゲームか。
それなら、僕が悲しそうにすれば、サクは笑ってくれるだろうか。


右手で席を指し示してやると、弟は静かにそこへ座った。


白い小皿に乗せたジャムは、苺と桃と生クリーム。
それへ一切見向きもせずに、弟はスコーンをひとかけら口の中へ入れる。


「・・・甘い」
「そりゃあ、スコーンだもの」


次に紅茶を口へ運び、そして弟は大きく息を吐いた。
あぁ、幸せが逃げてしまう。


穏やかな冬の日。
窓の近く、ソファテーブルに置いた紫の花と、空の青だけが世界を色づける。


かたかた、かたかた。
木枯らしが小さく窓を揺らしたけれど、部屋の中は揺り籠のように温かかった。


「サク」


淡い紫。今は悲哀の色。


「サクがね、僕のことを想ってあんな行動に出たのは、知っているよ」
「兄さん」
「僕がまた人間に裏切られるんじゃないかって。そうなる前にマリを遠ざけようと思って、ああいう事になったのは知っているよ」


言葉を切って、自分もカモミールで喉を潤した。
その香りが、ほんの少しだけ心を穏やかにする。

今日はプレーンのスコーン。
彼女の影響で甘いものが大好物になってしまい、ついついジャムをつけすぎてしまった。

そのままそれも口へ運び、さくり、と一口。


「でもね」


桃のジャムが、とろとろと口の中で溶ける。


「マリが僕をどう想っていようと、例え他の人には僕への裏切りに見える事をしたとしても、僕には関係無いんだよ」


飲み下すそれは、決して飢えを満たすものにはならないけれど。


「僕は、自分から望んで彼女の傍に居る」


彼女の母親に、彼女が一人で生きていけるようになるまでは傍に居てやってくれ、と頼まれたという理由も、あるけれど。
それは、言わなかった。


その方が、きっと弟は、自分を責める。


「だから、マリがもし目を覚まさなかったら、僕は許さないよ」


彼女を傷つけた分だけは、懺悔をするといい。


かたかた、かたかた。
冬の空は、果てしなく遠い。


弟は、もう一度、ゆっくり、カップを口へ運んだ。
飲み干されるカモミール。


そして、もう一度、ゆっくり、こちらを見る淡い紫。


「兄さん、彼女が、目を覚ましたら」
「ん?」
「謝らせて欲しい」


先ほどより、ほんの少しだけ穏やかな色。


くすりと微笑んで、首を傾げて見せた。
そして指を伸ばし、その額へ触れながら言う。


「うん。だから、サク」


ぽん、と。
指先で軽く弾いてやった。


「今は、おやすみ」


とろり、と溶ける瞳。
落ちる瞼。

椅子から滑り落ちそうになった体を受け止めて、不本意ながら抱き上げた。
彼女にはいつも細い体、と思われているようだが、見た目以上に力はある。

危なげなくソファまで運ぶと、そっと下ろして寝かせてやった。
自分の部屋から毛布を持ってきて、それもかけてやる。


「いつまでたっても手の掛かる弟だなぁ」


目に掛かっていた前髪をどけてやり、額を撫でた。
紅茶に忍ばせた睡眠薬は、殆ど寝ずに彼女へ付き添っていた弟に対して絶大な効果を発揮している。


かたかた、かたかた。
また、風の音。


「起きる頃には、マリも目を覚ましていると良いね」


そうでなければ、僕は何をするか分からないよ。
囁いて、そっとその傍を離れた。




この三日間、弟が傍に居てできなかったから、その日の夜は彼女を抱きかかえて眠った。





 戻る