「は?」


受話器に向かって、思い切り不躾に聞き返してしまった。
それを受けた仲介人は、相変わらずの涼しい声だ。


「ですから、バンシーです。行方不明のバンシーを見つけて欲しい、との依頼です」





浅瀬で落とすの行方






バンシー。日本でいう泣き女に近い妖精だ。

バンシーが泣くと、誰かが死ぬ。
いや、逆だ。誰かが死ぬからバンシーが泣く。けれど、死を予言する存在として忌避されてしまう可哀想な妖精。


どうしてそれが、捜索対象になった?


「葬儀屋にはもってこいの妖精だと思いますよ」


理解できないでいる僕に対し、仲介人はこう続けた。


「死ぬ人間の名前を教えてくれる。その家に営業をかけておく。ほら、立派なビジネスの道具じゃないですか」


・・・・・・少し、悲しくなってしまった。

そうまでして人間の生活へ溶け込まなければ、生きていけない僕ら。
果たしてそこに、幸せを見出せるのだろうか?


そんな僕の思考を察したのだろう、受話器の向こうからは微かに笑い声が聞こえてきた。
けれど無機質なそれはすぐに止まり、決して慮った訳ではない言葉を紡ぐ。


「彼女はまだ幸せだと思いますよ?」
「、幸せ?」
「ええ。少なくとも、彼女は望んでその依頼人の傍にいる。そして、彼女が居なくなってしまい、依頼人は私に捜索を依頼してきた。それは幸せではないのですか?」


そう問われ、言葉が出なくなった。
確かに、その通りなのかもしれない。

傍に居たいと願った相手の隣にいられること。
それは得難い幸運であり、自分も身の内に抱える感情だ。


「そう、ですか」


けれど、仕事に些細な感傷を持ち込むつもりは無い。


「分かりました。期限は?」
「出来る限り早く」
「見つかり次第、連絡します」


そう言って、受話器を置く。
その音がやけに響くくらいには、凪いだ晴れの日だった。

窓の向こうには相変わらずの青い空。
彼女が帰ってくるのをベランダで待っていられたのなら、どれほど幸せなのだろうか。


夏の虫が声を潜め、風は静かに冷たさを孕む。
そして染まり始めた木の葉は、実りの季節を知らせていた。


「・・・さて。夕飯の支度をしたら、探しに行かなくちゃ」


探しに行く前に、まずはやるべき事を終わらせなければいけない。

たっぷり茸を入れた炊き込みご飯に、秋刀魚の塩焼き。大根おろしと醤油は忘れずに、サラダは牛蒡と人参のマヨネーズ和え。
ざっと献立を頭に浮かべ、下準備の必要なものを冷蔵庫から引っ張り出す。


開け放った窓からは、緩やかに風が吹き込んできた。
それに目を細めながら、ふと蛇口から落ちる雫を見詰める。


ぽたり、ぽたり。


あぁ、今もまた、どこかの川辺で泣いているのだろうか。


そう思ったら、いてもたってもいられなくなってしまった。
気付けば食材を全て冷蔵庫へ戻し、エプロンを外し、財布だけを掴み玄関の外へ駆け出していた僕は、やっぱり少し馬鹿なのかもしれない。








それでも。
秋の日差しは、稀に、心を抉るように切なくさせるから。








きらきらと光る水面は底を見せず、ただ揺蕩っていた。
その縁で俯く後姿が無いか、目を走らせながら足を進める。


自分に依頼が来たという事は、依頼主自体がこの近辺に住んでいるということだ。そして、川という川は此処以外に無い。


草の生い茂る土手。その中に灰色のマントが埋もれていれば、目に付く筈だ。けれど、行けども行けどもそれらしき影は見当たらなかった。


「何処に行っちゃったんだろう・・・」


何処に居たのかも知らないけれど。


望んで依頼主と共に居たというバンシー。
求められたものは彼女の死を知る力だとしても、それで余計に泣かざるをえなかったとしても、幸せなのだろうか。笑っていられるのだろうか。


「見つけて欲しいのかな」


呟いて、確信する。
きっとバンシーは、依頼主の元に帰りたいだろう、と。


だって、僕がそうなのだ。
彼女に保護者が必要だからという理由で宛がわれた役目だけれど、望んで傍に居たいと願った。

否、願っている。


いつか、もう要らないと言われるその日まで。
何度だって、あの家へ帰りたいと望むだろうから。


人間に焦がれるなんて、本当に愚かな事をしている自覚はある。
どう考えたって、待っているのは悲劇だ。

置いていくか、置いていかれるか。
その二択しか無い。


そこまで考えた所で、思わず苦笑した。
分かりきっている事実に、どうしてここまで思い煩わなければいけないのだ。


そう、もう、僕は選択を彼女へ手渡した。
だから、悩む事さえ無意味だというのに。


「・・・秋だからいけないのかな」


邪魔にならないよう、道の端へしゃがんで川を見遣った。
底の見えない濁った水でも尚、命を育み海へと流れていくそれは自分の小ささを知るのに十分な雄大さを具えている。


昔、人魚姫のように、溶けて泡となれるのなら、と願った事もあった。

けれどそう願ったのは、誰かの命を奪いたくない、なんて高尚な理由からではない。
奪い続けた命の重さに耐えられなくなったから、だ。


それならば、バンシーは何を思って泣くのか?

誰かの死が、ただただ悲しいのだろうか。
それとも、その死を知ったところで何もできない無力を嘆いているのだろうか。


とうとうその場へ座り込み、無為に佇む流れへ思考を任せた。

時折後ろを通りがかる人間には、変な光景に見えるだろう。
大人の男が一人、道の端にしゃがみこんでぼんやりしているのだから。

けれど、それを気にする程繊細な心臓は持ち合わせていなかった。


凪いだ晴れの日。
平等に降り注ぐ太陽の光は眩しくて、けれど冷たく乾いた風の吹くおやつの時間。

喧騒は遠のき、自分の周りだけが真空状態のように静かだ。
例えば世界の果てというものがあるのなら、こんな風なのかもしれない。


こんな所で泣き続けるのは、辛いだろうに。


そう思ったら、再び立ち上がって歩き始めていた。
先程よりも歩調を速め、下流へと進んでいく。


舗装されたコンクリートの道はとても歩きやすく、その分草の海となっている土手へ踏み込むのに躊躇いを覚えた。
けれど昔、まだ道がこれほど綺麗に整備されていない頃は、生い茂る草の中へ踏み込むのも、泥濘の中を歩くのも当たり前だった。


時代の流れに身を任せるのは、ひどく容易い。
果たしてバンシーは、どれ程の時を越えてきたのだろうか。


見つかったのなら、昔話も良いな。


そんな微かな期待を抱きつつ、結局、日が暮れるまで歩き続けた。
鴉が鳴いて巣へと戻る、茜色の空。


結局その川辺で、バンシーは見つからなかった。








肩を落とし、鍵穴へ鍵を差し込む。そしていつものようにそれを回すと、その感触はやけに軽かった。
要するに、鍵が開いているという訳で。


「マリ、もう帰ってるのかな?」


そうでなければ、自分が掛け忘れたか空き巣に入られたかの二択だ。
出来ればどちらも避けたい所である。


「ただいまー」


少し控えめにそう言いながら扉を開けると、玄関には彼女のローファーがきちんと揃えて置いてあった。


「良かった、鍵の掛け忘れじゃないみたい」


安心しながらそう呟き、靴を脱いで室内へ上がる。
廊下からリビングへ続く扉の磨り硝子からは、間接照明の温かな灯りが漏れていた。それに小さな幸福感を抱きながら、取っ手を握って押し開ける。


その瞬間。


「ぴぎゃあああぁぁぁっっっ」


耳を塞ぎたくなるような鳴き声が響いた。


「っっっ?!」


室内へ目を走らせる。
ソファには誰も座っていない、自分の部屋の扉は閉まったまま、キッチンにも誰も居なくて・・・残るは、彼女の部屋だけだ。


床へ荷物を置き、足早にリビングを突っ切る。
右側にある彼女の部屋の扉は開け放してあったから、ノックをせずに枠を掴み勢いよく部屋を覗きこんだ。


「マリっ」
「うぇぇぇぇ、ふえぇぇぇっっっ」
「あぁもう、泣かないで」


そしてその光景に、心底驚いた。


制服のままベッドに腰掛けた彼女は、隣に座る薄い灰色のニットに萌黄色のスカートを着た少女を抱き締め背中をさすっている。

こうして彼女が誰かを慰めている事にも驚いたけれど、何よりも、その相手だ。


耳を塞ぎたくなるような泣き声、灰色の洋服、黒髪、そして何より、赤い目。


「・・・バンシー?」
「うぅふぇぇぇぇっぴぎゃあぁぁぁぁっ!」


思わず呟いた名前に、彼女に抱き締められた少女はより泣き声を大きくした。


「わ、イバラどうしよう、これじゃご近所迷惑に」
「そそそそうだよね、あぁごめんねいきなり名前呼んでっ」


慌てた彼女につられ、自分も慌てる。
けれど自分は、とっておきの切り札を持っていた。


「あのねバンシー僕は君を探してたんだよ、だから泣き止んでっ」


そう、バンシーが望んで傍に居る相手からの、捜索依頼。

僕の言葉を聞き、案の定バンシーはぴたりと泣き止んだ。
そして、彼女の腕の中でこちらを振り向く。

あぁ、其処は僕の場所なのに。


「なんで、探して、たの?」


大泣きしていたせいか掠れた喉で、途切れ途切れ問われた。
だから、してやったりと思いながらも、安心させるように笑んで伝える。


「君を探し欲しいって、僕に頼んだ人がいるから」
「っそれは、本当?!」
「本当だよ。だから、もう泣かないで?」
「っうん!」


意味の分からない会話を怪訝に思ったのか、彼女が問う視線でこちらを見た。
それに対して口の動きだけで「後で説明するね」と伝え、そっと二人へ近づく。

そしてベッドの縁へしゃがみ、なるべく刺激しないようバンシーを見上げた。


「初めまして、僕はイバラ。君が見つかって本当に良かった」
「いば、ら・・・?」
「そうだよ」
「初めまして、いばら。私を、探しているのは、あの人?」
「この辺りに、君以外のバンシーは居ないでしょう?」
「うん。いない」


たどたどしい言葉でこくりと頷くその姿に、少しだけ切なくなる。
思わずその黒髪を撫でてから、もしかすると目の前のバンシーが年上かもしれない事に気付いた。

けれど、バンシーは赤い目を嬉しそうに細めている。
それに安心して、もう一度掌で頭を撫でるとゆっくり立ち上がった。


「確認をして、迎えに来て貰うからちょっと待っててね」


そう告げると、うん、と頷く。
隣に座りバンシーを緩く抱き締め続ける彼女に、もう少し待ってね、と目配せで合図をしてからリビングへ戻り、受話器をとった。

指先が押す番号は勿論、仲介人宛だ。
二回のコールの後、かちゃりと通話の繋がった音。

そこに相手が居るのは分かっていたから、応答を待たずに告げた。


「灰色のニットに萌黄色のスカート、赤い目、腰まである黒髪、身長はおそらく百五十あるかないか、たどたどしい日本語」
「もう見つけたんですか?・・・えぇ、依頼人から教えられた風貌と一致しています」
「どうすれば?」
「そちらへ迎えに伺うの」
「お断りします」


おそらくこの住所は知られているだろう。だからといって、得体の知れない相手に足を運んで欲しいものでもない。
言葉を遮るようにして断ると、受話器の向こうで微かに笑う気配がした。


「では、最寄の駅までお連れ頂けますか?」
「・・・分かりました」
「一時間後、改札の前で」
「それでは、また後ほど」


静かに電話を切って、溜め息をつく。
とりあえず、依頼はほぼ果たしたも同然だ。

棚からぼた餅のような発見の仕方だったけれど、求められるのは結果だから問題も無い。
彼女には後でお礼にケーキを焼くとして・・・


さて、残り一時間。
バンシーを泣かせる事無く、送り届ける事ができるだろうか?

それだけが不安の種だった。








「見つけてくれて、ありがと」


にぃ、と無邪気に微笑んだバンシーを仲介人に託し、帰路を辿る。
家で待っていて欲しいと伝えたのに結局ついてきた彼女の手を引き、鈴虫の鳴く夜を進んだ。


「可愛かったね」
「うん。でも、マリより随分年上だと思うよ?」
「そうなの?」
「そうだよ」


僕らのような生き物は、外見年齢が全く当てにならない。
ある歳でぴたりと成長を止める種族もいれば、ゆるゆると老い続ける種族、逆にどんどん若返っていく種族だっている。


そっか、と小さく呟きながら、彼女は空を仰いだ。
そのまま何処かに行ってしまいそうで、繋いだ指へ力を入れる。

それに気付いたのか、彼女はほんの少しだけ口元で笑み、瞳を閉じた。


「あの子、見つけた時はぼろぼろ大泣きしてたのに。さっきは笑ってたね」
「バンシーの大泣きは・・・あんまり想像したくないなぁ」
「うん、凄まじかった。どうして通りかかる人達はみんな気付かないんだろう、って思うくらい」


でもね、と薄く開いた瞼の奥にある黒曜石が光る。


「わたしは、聞こえたよ」
「うん」
「会いたい、置いていかないで、何処にいるの、って。あの子、叫んでた」


その言葉に、思わず眦が緩んだ。


「良かった」
「え?」


泣き叫んでいたというのに良かった、と言った事を怪訝に思ったのだろう。
彼女は僕を伺うような視線で見た。


「バンシーって、どうして泣くかマリは知ってる?」


見詰め返して聞くと、彼女はゆっくりと横に首を振る。

それもそうだろう。
なんせ、トリック・オワ・トリートという言葉さえ知らなかったのだ。


「バンシーはね、誰かが死んでしまう時に泣くんだよ」


歌うように、伝えた。


「だから、誰かの死とは関係無く自分の為に泣けるのなら、誰かを想って泣けるのなら。それはもしかすると、幸せな事なのかもしれない」


すると彼女は、納得したように頷きかけて、けれどすぐに眉をひそめた。

解ける指。
それを掴み直すより前に、彼女が驚くほど近くへ顔を寄せてきた。


「でも、」


温かな熱を宿す掌で両頬を包まれる。
そして、ひたと見詰める黒曜石。


「そうして泣くよりも、その誰かの隣にいられる方が幸せじゃないの?」


そのまま小さく口付けて、彼女は滑るように身を引いた。

一連の様子を、僕は観客のように眺めていた。
置いてきぼりの思考が、凍結されたように動かない。


だって。彼女がそんな事を言うなんて、思いもしなかったのだ。


「だからわたしは、バンシーを迷子にした依頼主の人に、もうその手を離さないで下さいって言いたかったよ」


自分の幸せでさえ考えた事の無かった、あの、無表情だった女の子が。
誰かの幸せを考えて、それを言葉にするなんて、思いもしなかったのだ。


本当に変わったね、マリ。
それは、もう居ないカレのお陰かな。


「そうだね。確かに、そうだ」


彼女の言葉を肯定すると、でしょ、と上目遣いで首を傾げてきた。
その愛らしい仕草に抱き締めたくなったけれど、衝動を抑えて再び手を繋ぐだけに留める。

握り返してきた指先の感触に笑んで、いつしか止まっていた足を再び動かし始めた。


真っ直ぐ前を向いて歩く彼女は、胸元を軽く握っている。
掌の中、シャツの下に隠されたそれは、自分が誕生日に渡したもので。


「僕は、マリの隣にいたいんだよ?」


窺うようにそう言うと、彼女は返事をする代わりに、絡めた指に力を篭めた。








「そういえばマリ、あのバンシー何処で見付けたの?」
「じゃぶじゃぶ公園」
「へ?」
「あそこ、小さい水路と人口の池がある公園の、水路の傍」
「・・・・・・」


なるほど、人口の水路も川の代用品になる訳だ。





けれどもう、バンシーの泣き声は聞こえない。





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