ふわり、ふわり。


散らす花びらは、果てしなく、果てしなく。





から






side : I


近所に住んでいるこども達に教わって、輪飾りを作った。
赤、緑、黄、青。たまに、金、銀。
輪をつなげて長くして、壁、天井、リビングを飾りつけていく。


クレヨンで画用紙に書いたのは、Happy Birthday、という文字。
何色も使い芸術的なのかただ滅茶苦茶なだけなのか分からない状態にすると、よし、と呟いた。




次に向かったのは、近所にある小さなスーパーマーケット。
賑やかな音楽の流れる店内を何周もして、必要なものを揃える。


玉ねぎ、挽肉、人参、じゃが芋、赤ワイン、ローリエ、マッシュルーム、松茸、ごぼう、蒟蒻、葫、韮、小麦、生クリーム、卵、牛乳、チョコレート、苺、オレンジ、バナナ、ゼラチン、その他、諸々。
いっぱいになった買物カゴをカートで押しながら、鼻歌。
低く流れるその音に振り向く人間も居たけれど、気にしない。気にならない。


空は真っ青、公園の木々は風に揺れ、はしゃぐ子どもを木陰で優しく包む。
擦れ違う大人たちは無愛想、道を走る車は急スピード、急アクセル、後ろから自転車の鐘を鳴らされ舌打ちまで受け取った。


いつも通り、回る町。
それでも、心は上機嫌だ。




嵩張るビニール袋を抱え、最後に寄ったのは花屋。
笑顔で出迎える店員へ、こちらも笑顔で一言。


「其処にある薔薇、全部ください」


固まる店員の表情が可笑しくて、声を出して笑った。




今日は年に一度の、大切な大切な日。


大事なあの子の誕生日。




カシャカシャカシャ、カシャカシャカシャ。
泡だて器がボウルの底にぶつかり、軽快な音をたてる。


それに合わせて、また鼻歌。
裸足の指が、フローリングの床へリズムを刻んだ。


炊飯器から、香ばしい湯気。
ことこと揺れる、鍋の蓋。
レタスの泳ぐ、水の中。
電子レンジが僕を呼ぶ。


カシャカシャカシャ、カシャカシャカシャ。


あの子が好きなのは、少し固めの生クリーム。
ふわふわスポンジ、宝石のような果物を挟んで、それを全て覆い隠す。


カシャカシャカシャ、カシャカシャカシャ。


外の廊下を歩く足音が聞こえる度に、心臓が早鐘を打つ。
まだ帰ってきちゃ駄目。準備が出来ていないから。


たくさんの香りが充満するキッチン。
あとは料理を完成させるだけ。


カシャカシャカシャ、カシャカシャカシャ。


どうしてこんなに、幸せなんだろう。




side : M


ぴーんぽーん。
ノスタルジックな玄関ベルの音が響いたけれど、室内から鍵が開けられる気配は無い。


溜め息をつき、鞄を探ってキィケースを取り出した。
鍵を差込み、ガチャリ、と回す。


きぃぃぃぃ。
疲れたような音がして、扉はようやくこちらを受け入れる為にその身を開いた。


「ただいま」


いつもある返事は、無い。
怪訝に思いながらもローファーを無造作に脱いで、室内へ滑り込んだ。


ぺたぺたと廊下を歩き、リビングへ続く扉まで辿り着く。
開けられるもんなら開けてみなさいよ。
そう言わんばかりの佇まいをした木製の扉は、ドアノブを回せば呆気無く開いた。


「イバわぁっ!」


パパパンッ


彼の名前を呼んだ瞬間に驚いたから、随分と間抜けな言葉になってしまった。
けれどそれに羞恥を感じるより前に、ぎゅうと抱き締められる。


視界を埋め尽くすのは、勿論、彼。
右手には、発砲したばかりのクラッカーを持っていた。


「マリ、マリ、」


耳元で囁かれる、低音。


「マリ、おめでとう、」


抱き締められた体は、鞄を肩にかけたままの状態で、動けない。


「マリの好きなもの、たくさん作ったよ、」


似合わないエプロンから漂う食べ物のにおいが、彼の甘い香りと混ざっていた。


「生まれてきてくれて、ありがとう、マリ」


尻尾を振った大型犬に飛びつかれるのは、今この瞬間の状況と似ているかもしれない。
思ったものの口にはせず、とりあえず一言。


「・・・イバラ、クラッカーは人に向けて発砲しちゃいけないのよ」


そっと体を離され覗き込まれるわたしの頭には、クラッカーの中身のカラーテープが幾筋も乗ってるに違いなかった。


「そうなの?」


少し俗世間の勉強をしてくるといいよ、イバラ。




赤いワンピースを手に制服を剥かれそうになったから、華麗に蹴り倒して自分で着替えた。
そして改めて向かったリビング。食卓に並べられた数々の料理に、言葉を失う。


デミグラスソースのかかったハンバーグ、マッシュポテトにニンジンのソテー、松茸の炊き込みご飯、餃子、サラダ、刺身、餡かけヤキソバ、ミネストローネ、等々。
節操が無い。


けれど、何を考えたのかは分かった。


「マリ、全部好きだよね?」


少しだけ心配そうな問い。
やれやれ。これではどちらが保護者なのやら。


「うん、好き」


短く返事をすると、彼は安心したように笑み、テーブルまでエスコートをした。
引かれた椅子へ腰をかけると、ワイングラスへオレンジジュースが注がれる。


「お酒、飲みたい」
「まだ未成年だから駄目」


決まりごとのようないつもの遣り取りをしてから、彼も対面の席へ座った。
自分のグラスにも、オレンジジュースを注いでいる。


間接照明だけをつけた、橙色の闇に沈む部屋。
テレビは無い。窓の外から、少し早い鈴虫の声。


「おめでとう、マリ」


歪な輪飾り、綴りに間違いのある文字、ちぐはぐな食卓。
それらに囲まれて、彼は幸せそうに微笑んだ。


何故だろう、他人の生まれた日、というだけなのに、そんな顔をするのは。
わたしという食糧を亡くしたくないから、こんな風にするのだろうか。


「ありがと」


自問自答する以上、答えは出ない。


カチン、と、高い音をたてて、グラスの淵がぶつかりあった。




side : I


眠いと呟いた彼女を、そっと抱き上げた。
殆どの皿を二人で空にしたのだから、次に眠気がくるのは当たり前だ。

歩ける、とむずかる彼女の動きをそっと抑えて、寝室へ向かった。


「マリ、あのね」


赤いワンピースが暖かな照明に映える。
名前を呼ぶと律儀にこちらを見返してくる彼女が、とても可愛らしかった。


「もうひとつ、プレゼント」


首を傾げる彼女の額へ唇を落としてから、静かに寝室の扉を開ける。
必要最低限のものしか無い、彼女の部屋。


不必要なもので、いっぱいにしてやった。


「わ・・・」


ふわり、ふわり。
開け放った窓から風が入り、花びらが揺れる。


抱えきれない薔薇の花。

花瓶で飾り、溢れた花は、茎を切って飾った。
花びらを全て散らして、部屋をいっぱいにした。


白、桃、赤、無機質な部屋で色が踊る。


ベッドの上に、大きな花束を一つ。
花弁は、彼女を包むワンピースと同じ紅色。


「お嬢様、気に入って頂けましたか?」


おどけて問うと、彼女は一瞬顔を歪め、それを隠すように首へ腕を回してきた。肩に、彼女の柔らかな頬があたる。
そして漸く貰った、くぐもったソプラノの声。


「うん」


涙の、滲んだ声。


「ありがと、イバラ」
「マリ?何処か痛い?」


食べさせ過ぎてしまっただろうか。
不安になって顔を見たいと願うけれど、マリは肩へ顔を埋めたまま、首を横に振るだけだ。


ふわり、ふわり。
黒髪が揺れる。花びらが揺れる。


何も出来なくて、せめて、彼女を強く抱き締める。


ふわり、ふわり。
ベランダの柵を越えて、月の光が落ちてきた。




side : M


花びらの散るシーツの上、小さく体を丸めた。
照明を落とし、薄闇に沈んだ室内。

薔薇もそれに同化しているけれど、香りが鼻に届く。


カシャカシャカシャ、カシャカシャカシャ。


灯りの漏れる扉の向うから、食器の音がした。
きっと、テーブルへ置きっぱなしにしていた皿やグラスを、キッチンへ運んでいるのだろう。


もっと、体を縮める。
皺になってしまいそうだけれど、赤いワンピースを脱ぎたくなかった。


カシャカシャカシャ、カシャカシャカシャ。


家の中に誰かが居て、何かをしている音が届いてくる。
それだけの事なのに、どうしてこれほど安心するのだろう。


彼のくれたもの。
好物ばかりの食事、とても悩み選んだのだろう赤いワンピース、そして、薔薇の花。


それよりも何よりも、この身に染み込むのは。
胸を締め付ける、温かなキモチ。




side : I


共に過ごし始めて、最初の彼女の誕生日。
ケーキとささやかなプレゼントを用意し、おめでとうと伝えたら、心の底から驚いた顔をされた。


考えてみれば、当然だった。
彼女の母親は、自身の娘の生まれた日を祝うような性格では無かった。


そんな彼女に育てられた彼女の、あの時の表情。

何を祝うというのか。
どうして祝おうとするのか。

分からない、理解できない。そんな顔だった。


ぎこちなくプレゼントを受け取り、ありがとう、と言った、あの、目。


来年の誕生日は、もっともっとお祝いをしよう。
そう、思った。


蛇口を閉め、スポンジの水を切る。
食器を片付けたリビングには、未だ輪飾りや画用紙が付けたままだった。


明日片付けようと決め、濡れた手を拭く。
ぼんやりと、振り向いて彼女の眠る部屋の扉を見た。


ふわり、ふわり。
窓から入る風に、カーテンが揺れる。


生まれた衝動のままに、そちらへ足を動かした。
ぎしり、と軋むフローリング。細心の注意を払い、扉を開ける。


赤いワンピースを着たまま、彼女は眠っていた。


あどけない柔らかな頬に、そっと指を伸ばす。
細やかな皮膚を撫で、唇を落とした。


生まれる衝動。




首筋に犬歯を埋め込み血を啜りたい、という本能。
優しく抱き込み穏やかな夢を視て欲しい、という慈愛。
強く口付け、全てを奪ってしまいたい、という劣情。




すべてが建前で、すべてが本音だ。


「おやすみ、マリ」


そのどれをも行わず、静かに囁くと、そっと部屋を辞した。
閉じた扉に寄りかかり、天井を仰いで息を吐く。


ふわり、ふわり。
彼女の部屋から零れた花びらが、フローリングをそっと泳いだ。





 戻る