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意味が分からなくて、首を傾る。 そしたら彼は、泣きそうに笑った。 お祝いをする日なんですよ。 そう教えられたけれど、その意味は飲み込めないままだ。 愛を捧ぐ -5 「ふんふーんふん♪」 鼻歌を歌いながら、電動ミキサーで生クリームを掻き混ぜる。 ガガガガガ、と音をたてながら回転するそれから目を離して開きっぱなしにした本を覗き込むと、次の手順を確認した。 「角がたつまで掻き混ぜて、スポンジはもうすぐ焼けて、あとは・・・」 「ユリさん、何を作っているんですか?」 「わわわっ!」 唐突に話しかけられて、危うく手を滑らせそうになる。 慌ててスイッチを切ってボウルを置くと、アタシは振り向いて泣きそうな顔で訴えた。 「春ー!びっくりさせないで、生クリーム飛び散らせる所だったよぉ」 「え、わぁ、ごめんなさい大丈夫でしたか?!」 「大丈夫だけど、アタシ気がちっちゃいんだから・・・」 眉を下げながら言うと、そんなアタシの頬にそっと触れて春は申し訳無さそうに笑む。 「でも、可愛いですよ?」 「・・・へ?」 「何があってもあまり動じない弟と長く一緒に居たので、こんな些細な事で驚いてしまうユリさんは可愛いな、と」 気を悪くさせてしまったらごめんなさい、ともう一度謝り、春は銀色に光るキッチンの作業台に置いたボウルを持ち上げ、電動ミキサーのスイッチを入れた。 キッチンについた窓から入る日に照らされて、ガガガガガ、と鈍い音をたてながら白いクリームが掻き混ざる。 その様子を横からぼんやり眺めつつ告げられた言葉を反芻し、意味を理解した瞬間に頬が熱くなるのを感じた。 「なっどっ、どうしたの春!」 「え?何がですか?」 「あ、アタシの事そんな風に褒めたの初めてじゃない!」 「そうでしたっけ?」 あ、でもユリさんほどの年齢の女性に可愛いは失礼ですか? 的外れな事を言って、春はもう一度謝ろうと口を開く。 「ももももういい、これ以上言わないでっ!」 「・・・そうですか?」 「そうなのっ」 真っ赤になっているであろう顔を背けて言い切り、アタシは誤魔化すように冷蔵庫を開けた。 しゃがんで中を覗き込み、次に切ろうと思っていた果物を取り出す。 苺、オレンジ、キウイ。 スポンジに挟んで、たっぷり生クリームを塗る予定だ。 「ところでユリさん」 「な、なに?」 「ケーキを作っているんですか?」 「うん、食べたくなって。フルーツたっぷりのショートケーキだよ」 そう言うと、春は幸せそうに顔を緩ませた。 あぁ、手元のボウルが落ちてしまわないか不安になるくらいの緩みっぷり。それに苦笑しながらフルーツをシンクに置いたザルへ入れた。 「早く食べたいです」 「夕飯の後ね!」 「でも驚きました、いきなりケーキを作り始めたので、どなたかが誕生日なのかと」 「へ?」 まずは苺。摘み上げた所で、春から意味の分からない事を言われて思わず振り返る。 手元を見ずにヘタを指で引っ張りながら、眉を顰めて聞いた。 「お誕生日?」 「はい」 「お誕生日とケーキがどうして繋がるの?」 「・・・は?」 今度は春が変な顔をする。 「だって、誕生日にはケーキを食べますよね?」 「・・・そうなの?」 「そうですよ、お祝いにはケーキがつきものじゃないですか」 「え、お誕生日ってお祝いするものなの?」 過去の自分の誕生日を思い出したけれど、取り立てて何かした事は無かった。 あぁでも、小さい頃からお姉ちゃんはおめでとうと言って折り紙で作ったお花や動物を、茶道と華道を習い始めてからはお花をくれていた気もする。 それで初めて自分の誕生日に気付く位だった。だから勿論、「特別な日や贅沢をする日に食べるもの」であるケーキをわざわざ食べた事など無い。 そんな事を考えて首を捻ってからもう一度春を見上げると、彼は下唇を噛み締めて怒ったような顔をしている。 「・・・春?」 何か、変な事を言っただろうか。 不安になり、苺を放って思わず彼の両腕を握った。 「ごめんなさい、アタシ何かした?」 あぁ、泣きそうだ。 アタシが物を知らなすぎて、嫌になってしまったんだろうか。 「ごめんね春、嫌いにならないで、アタシの事を放り出さないで」 縋る自分がまた、嫌になる。 けれど、手に入れたこの温かな場所を失くすのだけは嫌だった。 ここで息絶えることができる、その安息を奪われてしまったら、アタシは何処へ行けば良いというの。 溢れそうになる涙を堪えて紫の瞳を見上げると、春はそれを驚いたように大きく見開いてから、アタシと同じくらい泣きそうな顔をして、けれど器用に笑んだ。 かち、という音は電動ミキサーの電源を切る音。 腕を掴んだアタシの両手を小さな身振りでそっと外させると、ボウルを落ちないように置いて、春は包み込むように抱き締めてくれた。 体と体がほんの少しだけ掠る、線を一本引いた距離。 それでもアタシは嬉しくて、擦り寄ろうとする心を抑えながらじっとしていた。 「ユリさん、」 掠れた声で名前を呼ばれ、なぁに、と返す。 耳朶の傍にある唇がもっと近付いてくれれば良いのにと思いながら、ただただ信じられない程の居心地の良さに目を瞑った。 「ユリさんは、何も悪くないですよ」 そんな事無いよ。 アタシが出来損ないだから、お父さんは怒って、お母さんは泣き、お兄ちゃんは苛々して、お姉ちゃんは心配ばかりしていた。 ほら、居なければ良かったでしょう? アタシが居なければ、アタシの家族は穏やかでいられた。 「良いんだよ?最後に優しい嘘をくれなくて」 「っちが」 「春がこうして優しくしてくれて、アタシは本当に幸せよ?」 否定の言葉を遮って、アタシはそう言い切った。 だから、ほんの少しだけ甘えさせて。 心の中で呟いて、とうとうアタシは身を寄せて春に抱きつく。 堪え切れなかったのは、出来損ないのせいにして。 心はもう、十分すぎるくらい満たされていた。 ケーキを作るアタシを置き去りにして出掛けた春が戻ってきたのは、日が暮れた後しばらくしてから。 鍵を持っている筈なのにチャイムを鳴らすから、どうしたのかと思って慌てて玄関を開ける。 するとそこには、両手いっぱいに荷物を抱えた春が微笑んで立っていた。 「遅くなってごめんなさい。でも、いっぱい買ってきましたから」 「なにを?」 質問には答えず、寒空の下を走ってきたのだろう息を弾ませ頬を上気させた春は、靴を脱いで室内に上がりずんずん奥へ進む。 扉と鍵を閉めて追い掛けると、どさ、と畳の上に荷物を置く音と、ごそごそと中身を探る音がした。 「春?」 「ローストビーフの入ってるサラダでしょう、煮込みハンバーグ、ちょっと高めのお刺身に、せっかくだから美味しい山葵」 「どうしたの?」 「ご飯が良いかパンが良いか分からなかったので、炊き込みご飯とフランスパンどっちも買ってきて、中華も捨て難かったので餃子とシュウマイに春巻きも買っちゃいました」 「ふ、二人じゃこんなに食べきれないよ?」 「食べ切れなかったら明日に回せば大丈夫です」 そう言って笑う春は、何処か痛いような、辛いような顔をしている。 それが心配で茶色いちゃぶ台の上に買ってきた物を並べ続ける春の隣にしゃがみ込んだけれど、彼はこちらを見向きもしないでひたすら作業を続けていた。 「ユリさんが飲めなかったらどうしようかとも思ったのですが、ここで躊躇うのも馬鹿かなぁと思ってシャンパンもあります。飲めますか?」 「飲めるけど、本当にどうしたの?春、」 「良かった、じゃあ一本飲み切っちゃいましょうね。あと、ケーキはユリさんが焼いてらっしゃったので、これを買ってきてみました」 取り出されたのは、赤、青、黄、緑、たくさんの色の蝋燭だ。 「ケーキにたてて、後でハッピーバースデイを歌います」 「ハッピーバースデイ・・・?誰か、お誕生日なの?」 「ユリさんのお誕生日、今までの分を全てお祝いするんです」 「・・・・・・へ?」 意味が分からなくて、首を傾る。 そしたら春は、泣きそうに笑った。 アタシではない、誰かへの怒りを紫電に押し隠して。 春はくしゃりと、それはそれは綺麗に笑った。 「お祝いをする日なんですよ」 「・・・お祝い?」 「はい。生まれてきた事をお祝いする日なんです。だから、今までしてこなかったユリさんの誕生日のお祝いを、今日しましょう」 どうしてお祝いをするのか、その意味が飲み込めなかった。 だって、アタシは生まれて来なくても良かった、いや、生まれて来ない方が良かっただろうから。 けれど、それを言えば春がまた悲しそうな顔をするのが分かった。 だから何も言わずにただ頷く。 「う、ん」 目元に笑い皺を寄せて、春が嬉しさを体いっぱいに伝えてくれた。 アタシもつられて笑い、グラスとお皿とお箸を持って来ようと立ち上がる。 「あぁ、駄目です僕が全部用意します!ユリさんはクッションを敷いて座っていて下さい!」 驚く程の速さで動きを抑えられ、アタシが何かを言う間も無く春はキッチンへ駆け込んだ。 ガチャガチャと派手に音を立てて必要なものを用意すると、同じように早足で戻って来てちゃぶ台の上に並べる。 「よし、準備完了です。シャンパン飲みましょう、開けますから」 ぽん、と軽い音を立てて栓を抜き、春は二つ並べたグラスへ同じ量だけシャンパンを注いだ。 どうぞと言われてそれを持ち、グラスを傾ける。 「それじゃあ、ユリさんの今までのお誕生日をお祝いして」 しゅわしゅわ、小さな気泡が水面を目指す様はとても綺麗だ。 「乾杯っ」 カチン、重なり合うグラス。 中身を一気に飲み干した後、春とアタシは目を合わせて笑い合った。 必要以上にはしゃぐ春につられて、アタシも今までで一番じゃないかと思うくらい声をたててはしゃぎ、笑う。 食べたいものを食べたいだけ摘み、シャンパンを飲み、気分良く頬を赤く染めながら話をした。 春は普段からは考えられないくらい饒舌で、アタシはその低い声をたくさん聞けるだけで嬉しかった。 最後にアタシの作ったショートケーキへ蝋燭をたくさん立てると、全てに火を点けてそれが消えるまで息を吹き続けた。 誕生日にはこんな不思議な儀式をやるのか、と面白くなって、アタシは酸欠になるくらいひたすら二酸化炭素を世界へ吐き出し続けたのだ。 灯りに照らされてつやつやと光る苺。 それを口へ運ぶ頃にはお腹がいっぱい、へとへとに疲れてしまった。 「幸せだと、こんなに疲れるんだね」 たくさん喋って、たくさん食べて、たくさん笑って。 あぁ、こんな風に疲れる事がどれ程幸福か、アタシは知らなかった。 酔っ払ったアタシ達は片付けをするのも面倒で、全てほったらかしにして布団へ潜り込んだ。 シャンパンで血の巡りが良くなり体は十分温かかったけれど、アルコールとお祝いのせいにして春の体に身を寄せる。 何時だって距離を置いて眠っていた彼も、この日ばかりはアタシに腕を伸ばして抱き込み、おやすみなさいと背中をあやすように叩いてくれた。 ばくばくと五月蝿いくらいの鼓動は、全部アルコールのせい。 春の胸に頬を擦り付けると、クリームの甘い香りがした。 それを吸い込みながら、想う。 このままずっと一緒に居られれば良いのに。 幸せすぎて、窒息してしまいそうだった。 好きよ。好きよ。 でもこれを言えば、アナタはアタシを遠ざけるだろうから、絶対に伝えない気持ち。 アナタと一緒に生きていきたい。 死を願う事ばかりだったアタシが、初めて生に執着を覚えた。 でも、それは出来ないから。 たくさん与えてくれたアナタに、アタシが出来る事はあと一つしか無いから。 聞こえてきた寝息。 そっと身を起こして隣で眠る彼の顔を覗き込むと、とても無防備に、満ち足りた表情をしていた。 「ありがとう」 そっと額に口付けを落とす。 「アタシはもう、本当に幸せよ」 心はもう、十分すぎるくらい満たされた。 だから後は、アナタに命をあげるだけね。 |