宅配便は突然に





ぴーんぽーん、ぴーんぽーん。

間延びした玄関チャイムの音に、はぁいとやる気なく答える。その後で、しまった新聞の勧誘だったら面倒だなと気付いた。
…せめてもの抵抗だ。扉を開けず、用件を尋ねてみる。

「どちら様ですか?」
「宅配便ですー」

想像していたよりも爽やかな返答にほっとして、鍵に手を伸ばした。がちゃり、軽快な音が響く。それを聞きながら、でも通販で何か頼んでたっけ?と疑問が浮かんだ。僕の思考は、半歩遅れて追いつくらしい。

「こんにちは、宅配便です!」
「はぁ」
「ああ、ご在宅で良かった!生ものだから早めにお届けをって指定が入ってたんです」
「はぁ」

宅配屋さんは二人いるらしい。玄関口で僕と受け答えをしている爽やかな方は、後ろを振り向いてもう一人を呼んだ。

「搬入お願いしまーす!」

道路の方から承諾する低い声が聞こえてきた。
搬入?家具か何か大きなものを購入した記憶は無い。酔っぱらって…も無い筈だ。ノートパソコンの上には、綺麗に埃が積もっている。
というか、生ものだからと言っていた。搬入する程大きな生ものってなんだ…?
首を傾げる僕を置き去りに、宅配屋さん達は目の前でてきぱきと動いている。

「お客様、浴室はどちらですか?ああ、それとも付属のたらいに水を入れて居室までお持ちしますか?」
「は?」
「うーん、でもお部屋は散らかっているようですね。やっぱり浴室にしましょう」

僕の肩越しにひょいと部屋を覗いた宅配屋さん一号は、勝手に会話を進めて決めてしまった。口を挟む間も無く、もう一人のじめじめした感じの宅配屋さんが、何かを担いでやって来る。

「は?」

それは、女の人だった。
フードにファーのついた濃紺のダッフルコートに、足下は細かくプリーツの入ったピンクベージュのロングスカート。

「失礼します」

担いだ女の人をそのままに、じめじめした宅配屋さん二号は僕の家へさっさとあがり、浴室を目指した。

「え、え、誰それ!」
「お客様、受領印をこちらへお願いしますねー」

暢気な顔で一号が伝票を差し出してくる。が、僕に印鑑を押している余裕など無かった。

「いや、今そんなことやってる場合じゃ!」
「あ、印鑑これですか?じゃあ押しちゃいますよー」

開けっ放しの靴箱の隅に置いたシャチハタ印を目敏く見つけた一号は、了承を待たず勝手に受領印を押す。けれど僕はそれを止める余裕もある訳がなくて、浴室に消えた二号を慌てて追いかけた。

ぼとぼとと浴槽に水の溜まる音がする。続いて、びり、びりと何かを破く音。それが洋服を破く音に聞こえた僕は、真っ青になって狭い脱衣所を飛び越し浴室へ飛び込んだ。

「ちょっと何やってるんですか?!」

そして、目を疑った。

じめじめは、スカートを床に落とした女の人を浴槽の縁に座らせて、その下半身に巻かれたアルミホイルを破いている。更にその下には湿った脱脂綿も巻かれているらしい。アルミホイルをある程度取り払うと、何処から取り出したのか、今度は銀色に輝く鋏で脱脂綿を手際よく切り始めた。
その下にあるのは、白く艶めかしい足…ではなく。

「はあ、苦しかった!コートも脱いで良い?暑いよー」
「構わない。鱗に傷を付けてしまうかもしれないから、動かないでくれ」
「んー」

二号の掌の向こうには、青銀に煌めく魚の鱗があったのだ。

「…は?」

開いた口がふさがらない、とはまさに今の僕のことだ。写真を撮ると良い。辞書に掲載すれば、良い例を示すことができる。
逃避思考を働かせつつ阿呆面を晒す僕を一瞥した二号は、女の人…認めよう、人魚だ。人魚に向かい、あれが家主だ、と告げる。

「ああ、貴方が!満月まであと一週間くらいかな?よろしくお願いしまーす」
「はあ…」

未確認生物に元気良くよろしくと言われた場合、どう対応するのが正しかったのだろうか。
僕がかろうじて人魚へ返事をした時、二号の掌は、鱗から完全に脱脂綿を取り払っていた。
そして鮮やかな手腕で人魚のコートと下に着ていたシャツを脱がせると、ショップの店員よろしく綺麗に畳む。絶対に女の人の服を脱がせ慣れている手付きだ。ちょっと腹立たしい。

そうして浴槽の中に残されたのは、絵本で読んだままの人魚だった。残念ながら胸を覆うのは貝殻などではなく、鱗の上の方までを隠す長さのキャミソールワンピースだ。近年開発されたブラトップが採用されているのだろうか?布を押し上げる胸の膨らみはお世辞抜きで程よい形と大きさを保っていた。あれで補正無しならば、きっと芸術家が彫刻に残しておきたいと願うレベルの造形美である。多分。僕は芸術家ではないから、それよりも谷間に顔を埋め(以下略)
邪な思考を進めようとする素直な僕を誰が責められるだろうか。いや、いない。

「完了だ。それじゃあな」
「うん、ありがとーお兄さん。もう一人の子にもよろしく伝えてね」
「ああ、分かった」

別れの言葉が聞こえてきて、慌てて思考を現実へ戻す。
狭い浴室で妙にイケメンオーラを放つ二号は、人魚の髪をそっと撫でると、静かに立ち上がって僕の横まで来た。至近距離で見ると、その瞳は紫色だ。身長的にも顔の造り的にも、おそらくヨーロッパの方の生まれなのだと思う。じめじめしているのにイケメンオーラを放つことが可能なのは、西洋の血の補正効果だからかと妙に納得した。
僕がそんな失礼な事を考えているとは、露程も思っていないだろう。彼は、持っていた人魚の服を僕に差し出す。

「出かける時はこれを使うと良い」

反射で受け取ったそれは、少し冷たかった。
後は頼んだぞ、と言うような流し目を残し、二号は脱衣所を出ていく。その背中も妙にかっこよくて、つい見つめてしまった。

「って、違う!!!」

どうやら僕の思考は半歩遅れているらしいが、口から飛び出る言葉はぎりぎりで現実に追いつけているらしい。
勢いよくセルフつっこみをして、慌てて二号の後を追った。

「ちょ、ちょっと待って下さい!」
「あ、お客様!たらいはここに置いておきますから、必要でしたら使って下さいね。あとこれ、契約書の控えだそうです」

玄関へ飛び出ると、二号はさっさと外に出てしまっていた。代わりに爽やか一号がにこにことたらいを示し、一枚の紙を差し出してくる。
条件反射でそれを受け取ると、ありがとうございましたー!と、彼もさっさと出ていってしまった。

「え、ちょ、まっ!!」

ぱたり。呆気なく扉は閉まり、すぐに車が走り去る音がする。間抜けな顔をして宙に手を伸ばした僕は、混乱した頭で契約書に目を落とした。
そこには、満月の晩まで人魚を預かること、怪我をさせぬよう注意すること、等々の細かな条文が記載されている。

そして最後の署名欄には、しっかりと僕の名前が書いてあった。間違いなく、自筆だ。
一体いつ書いたのだろう…額を人差し指でかき、記憶を探る。
むむむむむ……



「では、この契約書にサインをお願いします」



そうして夢の靄を振り払い蘇ったのは、チシャ猫の笑み。手の中にある契約書控えとやらは、黒衣の男にサインを求められた、まさにその用紙だ。

「…夢だけど、夢じゃなかった?」

有名なアニメーションに登場する某姉妹の台詞を思わず呟きながら、頬をつねる。痛い。
つまり僕は、この契約書に従うならば、これから数日間をあの人魚と過ごさなければいけない訳だ。


望んでいた、非現実的な日常。
おそらくなかなか出会えない、貴重な出来事。

「えっと…どうしよ」

だというのに、僕は少し戸惑ったまま。
しかし、契約は始まってしまった。ひとまず自己紹介をして、僕がどうすれば良いのかを彼女に聞くしかない。

玄関の鍵を締め、居室へたらいと契約書の控えを置く。
そして、深く息を吐いて気合いを入れた僕は、おそるおそる浴室へと向かうのだった。



「あの、初めましてこんにちは。海の中で過ごしてたんですよね?どうして髪、そんなに綺麗なんですか?さらさらっすね」
「私にしてみれば、空気の中にいるのに干からびない人間の方が不思議だよ」

きょとんとした顔で答えた人魚は、本当に人間って変、と言うなり両手で浴槽の縁を掴んで伸び上がる。それはちょうど僕の顔の高さで、逃げる間もなく唇が落ちてきた。

「私はエリサ。よろしくね?」

ちゅっと高い音を立てて頬にキスを落とした後、にこりと微笑む彼女に僕は思った。
なんていうか、勝てそうにない。



title *** 立ち上がって恭しくキスをして



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