昔々ある所に、仲睦まじい姉妹がいました。 生まれつき体が弱く、儚げに笑う姉。お転婆だと言われながらも、皆に愛される妹。 姉は外での出来事を楽しげに伝えてくれる妹を慈しみ、妹は誰にでも分け隔てなく優しく接する姉を慕っていました。 二人の世界はとても静かに満ち足りていました。 姉には生まれてすぐに決められた婚約者がいます。婚約者の男もまた、美しい姉を慕っておりました。 だから、男は妹が自分のことを好いているなど気づくことなく、姉の下へ足を運び、妹を妹として大切にしていました。 妹は、私が先に生まれていれば、と涙で枕を濡らします。 そんな妹の想いに気付いている姉は、けれど自分にはどうすることもできないと、知らぬ振りをしていました。 二人の世界は、とてもとても静かに満ち足りていました。 姉妹と兄弟 良い風の吹く春の夜のこと。姉と妹はこっそりと屋敷を抜け出し、海の近くを散歩していました。 出来る限り明るい道を選んでいた彼女達は、けれど、人相の悪い男達に囲まれてしまいます。助けを呼ぼうにも人通りは皆無で、二人は身を寄せ合い、それでも毅然と男達を睨みつけていました。 その時です。暗がりから人影が二つ飛び出してきました。人影は瞬く間に男達を蹴散らし、気遣うように姉妹へ手を差し伸べます。 姉はそれに応え、ありがとうと伝えました。けれど、彼らは困惑したように顔を見合わせています。 どうしたのかしら。姉妹は不思議に思いながらも、二人をよく観察しました。 自然と視線が吸い寄せられたのは、彼らの瞳です。それは、とても綺麗な紫色をしていました。 もしやと思い、妹は習ったばかりの外国の言葉で「ありがとう」を伝えます。すると、彼らは嬉しそうに笑い、ゆっくりと頷きました。 美しい春の夜のこと。姉と妹は、外国からやって来た兄と弟に知り合ったのでした。 *** 姉妹は家族の目を盗んで屋敷を抜け出しては、兄弟へ会いに行きました。 「そうだわ、私たちが名前をつけてあげる!」 「あら、素敵な考え。そうね、貴方の瞳は満月の日の空の色みたいだから、ミツキなんてどうかしら。満月と書いてミツキと読むの」 「それなら、そちらの弟さんは新月の夜みたいな髪色だから、サクね。朔月の朔。どう?気に入ったかしら?」 兄と弟へ日本語の名前をつけた彼女達は、その名で彼らを呼んでいます。 出会ってすぐの内、四人は外国の言葉を使ってやり取りをしていました。ですが、姉妹が兄弟へ少しずつ日本語を教え、今では日本語で会話をしています。 兄弟の話す異国の景色は、姉妹の胸を高鳴らせました。 けれど姉はいつしか、彼らの話を聞かずとも、兄の傍に寄るだけで胸が高鳴るようになっていったのです。 「カヨさん、今夜の月はとてもキレイですね」 「そうね、満月。貴方の名前と同じ、まん丸の月だわ」 こんな些細な会話だけで満たされる心。 彼女はその時気付いたのです。ああ、私はこの人に恋をしている、と。 「カヨさん、茂さんはお元気ですか?」 「・・・・・・ええ、とても」 「カヨさんはとても大切にされています。幸せになって下さいね」 こんな些細な会話だけで痛む心。 彼女はその時気付いたのです。ああ、私は私の婚約者へ、愛していますとはもう言えない、と。 *** 「ねえ、お姉様」 「なぁに?」 「満月のこと、好きよね?」 「・・・・・・」 「だったら茂さん、私に頂戴な」 「・・・・・・私達、生まれる順番を間違えたのね」 *** 橋の下に寝泊りしているという兄弟は、お金を稼いでいる素振りがありません。 なのに腹を空かせた様子も無いので、妹はいつも不思議に思っていました。 「ねえ、貴方達は食事をどうしているの?」 そう問えば、兄も弟も意味が分からない振りをして、曖昧に笑います。両親や親戚が話をはぐらかす時にそっくりで、妹は面白くありません。 だから、どのように食糧を調達しているのか突き止めてやろう、もしも悪事に手を染めているのなら助けたい、と思い、ある晩こそりと彼らの後を追いました。 そこで見たのは、とても美しい光景でした。 弟は、命の残り火が微かに灯る老婆を抱き寄せます。皺が浮かび皮の余る首筋へ口付け、そして、牙を突き立てたのです。 うっとりと空を仰ぐ老婆の瞳が、静かに閉じていきました。 その様は手を取り合って踊る一対のようで、薄暗い路地、月明かりの下、一枚の絵として浮かび上がっています。 そうしてか細い命の火が消えると同時に、弟はつぷりと牙を抜き、手の甲で唇を拭いました。 兄が老婆を受け取り抱き上げ、河原の柔らかな草の上へ静かに寝かせます。 ああ、これが彼らの食事なんだ。妹は本能でそれを悟りました。 「ごめんなさい。でも、ありがとう」 兄は骨ばかりの老婆の手を胸の上で組ませ、指の先へ愛おしげに唇を落とし――― 妹が身を隠す角を見遣って、悲しそうに、淡く微笑んだのです。 「僕達はこういう生き物です。だから、関わらない方が良いですよ。サオリさん」 ひゅうと息を呑んだ妹に気付き、弟は悔しげに目元を歪め、ふいとそっぽを向いて歩き出しました。それを優しく見送ってから、兄は彼女に向けて、別れの言葉を口に上らせます。 「貴女達のお陰で、この国で生きていく為の名前と言葉を手に入れることができました。ありがとうございます。カヨさんにも、そう伝えて下さい」 さようなら。深く頭を下げれば、柔らかな癖毛がゆらゆら風に遊びます。 ああ、本当に行ってしまう。 闇へ紛れゆく兄弟の後姿を追えない妹は、ぺたりと地面へ座り込みました。 どうしよう。どうすれば良いの。 引き止める?何故。彼らの話は確かに面白かった。もっと聞きたいと思う。でも、―――あんな化け物なのよ? くるり、くるりと回る思考。 その先に突き当たったのは、ああ、なんということでしょう。甘い毒のような思いつきでした。 「ねえ、満月!私の知り合いに、重い病気のお嬢さんがいるの!お医者様から匙を投げられて、あとは死を待つばかりなの!苦しいだけの命を、貴方なら救えるのでしょう?!」 ぴたりと兄の足が止まりました。その肩が震えます。 風に背中を押された妹は、声高に伝えます。 その内容は、自分の住む屋敷の、姉の眠る部屋の場所。次の月が無い晩に救ってやって欲しいと言葉を添え、もう一度、お願い、と震える声で縋りました。 お願い、お姉様の想いを、どのような形であれ叶えてあげて。 そして。 私の恋を叶えさせて。 夜に消えゆく化け物達の背中を見送り、妹は、幸せそうに笑んだのでした。 *** そしてやって来た、朔月の晩。 弟に止められた兄は、けれど、姉妹への恩義故に背中越しに聞いた屋敷へ忍び込みました。 灯りの消えた真夜中でも、人間ではない彼には差し支えありません。足音をたてずに庭を横切り、松の木が目の前に生える部屋の障子を開けました。 必要以上に焚かれた香に咽ながら探ると、部屋の中央に布団が敷かれ、女が眠っているのが見えます。 その顔には、能面が被されていました。 故に首筋の肌色が妙に艶かしく、脈の音さえ聞こえそうです。 ああ、なんて美味しそうなのだろう。 ここ最近の食事を全て弟に譲っていた兄は、ひどく飢えていました。 なので、ごくりと生唾を飲んで近付くと、白い浴衣に身を包んだ上半身をそっと抱き上げ、躊躇いを忘れ首筋へ牙を埋め込んだのです。 「っ」 女が呼吸を詰める音がしましたが、気になりません。宥めるように肩を撫で、宙に彷徨う指を握り、ごくりと赤い血を飲み干しました。 流れ込んでくる、数々の記憶。 その中に見知った顔――この国にきてすぐに知り合ったサオリさん、自分の弟、そして自分自身――を見つけ、思わず、手を離しそうになりました。 紫色の瞳を大きく開き、女の顔を見上げます。かたり、能面は畳の上に落ちましたが、首に牙を埋める兄は、その顔をしっかり確認することができませんでした。 けれど、間違いありません。この人は、自分に名をくれた、「カヨさん」なのです。 流れ込む彼女の記憶には、自分の姿が多くありました。 一緒に団子を食べに行った茶店、隣に座って見上げた朧月、人混みではぐれないよう繋いだ手の暖かさ。 そうしたものがたくさん、たくさん流れ込み、自身の記憶と溶け合い、兄は嫌でも悟ったのです。 満月、と彼女が呼ぶ自身の名に込められた想いを。 牙を抜き、首筋をそっと舐めてから顔を覗き込むと、彼女は幸せそうに微笑んでいました。 息も絶え絶えにか細い指を彼の頬に這わせ、嬉しい、と囁きます。 「何故こんなことをしたのですか・・・・・・」 「ねえ満月、私、貴方が好きよ」 「ですが、」 「さおりはね、茂さんが好きなの。私はね、貴方が好きなの。だったら、私が居なくなれば良いだけでしょう?」 彼女の言う意味が理解できず、彼は泣きそうな顔でただ首を横に振りました。 その様子が見えていないのでしょう、女はうっとりと笑みます。 「好いた人に命を奪って貰う上に、好いた人の血肉となって生きていける。なんて、幸せなのでしょうねえ」 そうして彼女は眠るように命を手離しました。遠くで誰かの泣く声がする晩でした。 *** その後、化け物の兄弟が何処に行ったのか、どのようにして生きているのか、知っている人はいません。 ただ、死んだ女の婚約者は、事の顛末を妹から全て聞きだし――暗い炎を身の内に宿したのでした。 |