「それは、僕の命。マリに持っていて欲しいんだ」


今年の誕生日、彼は二つのプレゼントをくれた。
一つは、小さな石の嵌まったピンキーリング。もう一つは。


「それはね、僕ら吸血鬼の命の核。これが壊れない限り、僕らが死ぬことは無い。死にたくなる程の苦痛を味わっても、体が塵になっても、それさえ無事であれば、僕らは死ねない」


小さな瓶に入った、暗く赤い球。
わたしは彼の命を貰った。





様と






いっくんだと思っていた男が、彼の脇腹を蹴った。鈍い音が響き、思わず目を瞑る。
首筋にあてられたカッターは、いつしか無くなっていた。この子が後で怒られないといい。現実逃避のようにそう思う。


男が居場所を教えろと言っていたのは、わたしの持つ彼の命の核だろう。
そして、復讐というのがわたしを殺した上でイバラに生き続けさせるというものならば、―それが復讐に為り得るのかは分からないけれど―、命の核の確保をしてからでなければ、わたしに手を掛けることはない筈だ。

まだ、時間はある。


今ここで赤い球を握り潰してしまえば、彼は痛い思いをすることなく、きっと楽になれるだろう。
けれど、そんなの嫌だ。彼を失うくらいなら、痛みを強いる方がまだましだ。

自分の中にある思いのほか強い思考に、思わず笑みが漏れた。
ああ、なんて傲慢なんだろう。


ゆっくりと瞼を上げる。
自分の選んだことから、目を逸らしてはいけない。


男は彼の顎を掴み、至近距離で目を合わせて何かを囁いていた。それを受け止める紫の瞳は、ぽかりと開いた深い穴のようだ。
失敗することはあっても常に笑もうとする彼の、初めて見る虚ろな色。それは焦りを覚えるのに十分なものだ。

とにかく、彼の命を守らなければいけない。
このままでは、いつかは男に荷物を捜され、首から下げていることに気付かれてしまう。その前に、一人だけでも逃げなければいけない。


「・・・・・・ねえ、バンシー」


囁くように呼べば、隣にいる幼い少女はびくりと肩を震わせた。


「貴女はあの人・・・・・・イバラが茂さんと呼んでたね。茂さんが好き?」
「・・・・・・好きよ。私を見つけてくれたから、願い事を叶える為に一緒にいるの。でも、そうじゃなくても一緒にいたいの」
「うん。わたしもね、貴女と同じようにイバラのことが」


夏休みが始まる日。
ソウイチが丁寧に紐解いてくれた気持ちを、自分の意思で口にする。


「好きだよ」


きちんと言葉にしたことが無かった。彼に伝えたことも、勿論無い。
どうしてだろう。明日には伝えられなくなってしまうかもしれないのに。


「好き、なんだよ」


言ったら、瞳から水滴が一粒零れた。


「だから、イバラがあんな風に傷つけられるのは、嫌だな」
「うん。私も、シゲルがああやって誰かを傷つけるのは見たくないよ」
「悲しいね」
「悲しいよ。でも、」


私が泣いてないから、今日は誰も死なないよ。
そう言って少女が浮かべた弱々しい笑みは、確かに長い年月を生きてきた者のそれだった。


かち、と微かな音がして、手錠の鍵が外される。


「マリアもイバラさんも、逃げちゃうんだろうから。先に外しておくね」
「いいの?バンシーは茂さんに怒られない?」
「平気。怒られたって、あの人は私の傍にいないと生きられないから。気にしないで」


バンシーに庇われながら、数時間繋がれていた手首を擦った。男はまだ、こちらの様子に気付いていない。逃げるにしても、何か突破口が必要だ。そもそも自分の足では、簡単に男に追いつかれてしまうだろう。

さて、どうするか。
こんな時に都合よく正義の味方が助けに来てくれるほど、世界は優しいのだろうか。

ううん、違う。こんな時に期待するのは、世界の優しさなんかじゃない。
彼がここに来るまでの間にした、準備だ。

ねえ、イバラ。貴方はわたしと生きたいと思ってくれた。だったら、誰かに助けを求めることくらい、簡単にできるよね?


がん、と大きな音がたち、出入口の扉が開け放たれた。
誰がやったかなんて、考えるまでもない。


「兄さん!」


彼の弟が叫ぶのと同時に、男は彼から手を離し、扉へ駆け出した。先程と同じように、大きく引かれた腕。サクは器用にそれを避けた。


「っなんであんたが生きてるんだ、茂さん!」


驚いてはいるけれど、隙は見せない。その様子に男は笑み、兄弟仲は戻ったんですかと楽しそうに問う。
今だ。バンシーへ口早にありがとうと告げ、駆け出した。地面へ倒れこんだ彼の元へしゃがむと、顔を覗き込んで額に手を当てる。


「イバラ、大丈夫?立てる?ごめんね、わたしが迂闊だったから、」


返事は無かった。口元の血を指で拭ってやり、口付ける。足りないのは分かっているけれど、少しでも回復に繋がればと唾液を流し込んだ。
血の味がした。冷たくて、鉄っぽい香りがする。彼は美味しいと言って血を啜るけれど、それは本当なのだろうか。美味しいと思うことを、悲しんでいないだろうか。

唇を離せば、また視界が滲む。ソウイチがいなくなってから、螺子が緩んだようだ。
今はまだ駄目と手首で目をこすり、もう一度と顔を近付ける。そこで肩に手を置かれ、思わず震えた。


「マリさん、大丈夫ですか?」
「ヒバリ」
「走れますか?僕がイバラさんを抱えるので、ついてきて頂けますか?」


振り返れば、見慣れたサクの同居人の穏やかな表情があった。それに安堵する自分を認識しながら、しっかりと目を合わせる。


「大丈夫。運動神経悪いけど、頑張るよ」
「頼もしいです。よいしょっと」


小柄な癖に、ヒバリは簡単に彼を抱き上げた。頷き合い、扉へと駆け出す。


「サクさん、回収完了です!」


走りながら叫び、ヒバリは徐に何かを投げた。それは真っ直ぐに飛び、サクと接近していた男に回避行動をとらせる。
途端サクもわたし達と同じように駆け出し、あっという間に私の隣に並んだ。


「苦情は受け付けない」


何が、と問う間もなく体を持ち上げられ、肩に担がれる。
ちょっと。なんで彼はお姫様抱っこでわたしは米俵を担ぐみたいなの。余裕があればそう言っただろう。けれど、外に出てすぐ屋根の上へと跳躍が始まり、舌を噛まないよう口を噤まざるをえなかった。


彼よりも分厚い背中にしがみ付き、振動に耐えるべく強く目を瞑る。
男の追走が無いと確信できるまでしばらく走り続けた二人は、随分重い荷物があったせいだろう、流石に疲弊しているように見えた。


「サク、ヒバリ、ありがとう」


そう告げれば、揃って目を丸くされる。
腹が立って、条件反射でサクの足を踏んだ。

朝日の昇り始めた、海の見える、丘の上の公園でのことだった。


ひとまずは、逃げられた。
けれど彼は、男に囁かれた言葉から、逃げられたのだろうか。

苦しげに呼吸する顔を見詰めながら、意識が戻ったら血を飲んで貰わなければとぼんやり思った。





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いっくん、いっくん。
ごめんなさい。

わたしと関わってしまったばっかりに、貴方の命を奪ってしまった。
貴方の大切な人たちから、貴方を奪ってしまった。


いつかまた出会えたら、憎んで欲しい。怒って欲しい。詰って欲しい。
それでも、思わずにいられないのだ。


貴方と出会えて良かった、と。
イバラと一緒にいたい、と。