自分の名前を書くのさえ、ひどく怖ろしい。






13 : 夏





其の日は酷く綺麗な空だった。


制服に身を包み、祭壇を見上げる。


花、花、花。


菊の花が咲き乱れ、其の中に彼は眠っていた。


近付き、見下ろす。


白い肌。光に透けると茶色くなる髪。瞼の落ちたつり目。穏やかに閉じた、唇。


指の先で触れる。


頬に口付けられた時は、身を引いてしまうほどの熱い温度と柔らかさを持っていたというのに。


今はもう、冷たく、硬い。


「そう、いち?」


瑞夏。


記憶の中の彼が微笑んだ。


けれど目の前にいる其の人は、身じろぎさえしない。


「そう、いち」


本当にいたのかさえ、疑いそうになる虚しい響き。


「ただいま、は?」


いってきますって言ってたのに。


「おかえりが、言えないだろ?」


早く帰ってこいって言ったのに。


「すきだよ」


答えが出ていなかった、彼からの宿題。


「好きだよ」


彼が永久不在になって、漸く見付けた。


「好き、なんだよ…っ」


誰にも届かない言葉は、ゆるりと空気に溶けた。






涙は堪える。


不毛なのは知っていた。


それでも、この恋心を抱え続けていこうと決めた。


好きだよ。


好きだった、にはしない。


色褪せないよう、思い出をきつくきつく抱き締めて、


零れないよう、記憶になってしまわぬよう、


ただただじっとしていよう。


好きだよ。


好きだよ。


好きだよ。




瑞夏。




瞼を落とせば、彼は其処にいる。



***



咽返るような熱帯夜には、今でも怖ろしさに震えてしまう。


悲しい知らせが届くのではないか。そんな気がして。




けれど。


あいつが居なくなってしまった事以上に悲しい知らせなど、あるのだろうか。


(ソンナモノ、キットナイ)





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