くるくる、くるくる。


行き場を無くした想いが、回り続ける。






10 : 回転木馬





「ね、みっちゃん。少しだけはぐれよ?」


可愛い笑顔につられて良いよと言った少女は、後悔はしていないものの、連れを探す為に歩き回る羽目になっていた。


「兄貴ー?純南ー?燥一ー?」


声を上げても、誰も振り向かない。
此処は夢の国で、迷子の放送などしてくれない砂糖菓子のように甘く残酷な場所なのだ。


少女を知る人間であれば、誰もが彼女を方向音痴だと言う。
それを知っていて尚はぐれる事をもちかけた幼馴染の少女は、決して腹黒いのではなく、天然なのであった。


「うーん、困ったな」


まるで困っていないように呟く。


「そういえば、迷子になったらそこに居て、って燥一が言ってたな」


迷った時の常套手段だ。
思い出した少女は漸く足を止め、手近にあった小さな噴水の縁に腰掛けた。


夜に沈んだ夢の国という名の遊園地は、きらきらと光り訪れた人間達の目を愉しませている。
歩いていく、人、人、人。
それは何処か他人行儀で、ぶつかって、目が合って、話しかけられて、初めてそこに相手がいると認識するレベルで見えない薄皮が一枚あるようだった。

ざわざわ、ざわざわ。
一つの声に集中しようとも、自分に掛けられている言葉ではないそれを掬い出す前に別の会話が聞こえてくる。
だから少女は諦めて、ぴしゃぴしゃと涼しげな音をたてる噴水を見詰めていた。


「 Ladies and Gentlemen! Welcome to *********! 」


突然響いた電子音の案内に、ざわめきが大きくなる。
それは夜のパレードが間もなく開始する合図で、そのルートから外れた場所に居る少女の周囲からは少しずつ人が減っていった。


「兄貴達も見てるかな?」


行こうか行くまいか、悩む。
けれど歩きつかれた足と相談した結果、やはりその場に留まる事にした。


ぴしゃり、ぴしゃり、ざわり、ざわり。


目を閉じて耳をすませると、ここでは無い何処かへ行けるような気がした。
楽しそうに唇をきゅっと上げ、少女は鼻歌を歌う。

誰も気にしない。
だって、夢の国だから。

みんな自分に夢中で、みんな浮かれている。





そのままどれくらい経ったのだろう。
不意に自分を呼ぶ声がして、少女は目を開いた。

不思議なもので、歩いていく他人の中、自分が知っているその人は浮かび上がって見える。
ひらひら、体重なんて知らないような軽い足取りで、きらきら、燐粉を纏っていた。


「瑞夏」
「そーいちだっ!」


やっと見つけたと立ち上がった少女は、歩み寄ってくる彼に近付いていく。

今年の春、一足先に中学生になった少年は少し大人びていた。
身長が伸び、ほんの少しだけ声が低くなり、上手く説明できない居た堪れなさを少女へ与える。

だから今日、久しぶりに自分の兄と幼馴染2人と遊園地へやって来た少女は、人見知り癖を発揮して上手く彼と話すことが出来なかった。
そんな彼女の様子に気付いたのか、はたまた彼がそれに対して少なからず落ち込んでいる事に気遣ったのか、純南はわざとはぐれて彼らを2人きりにしようと思ったのだ。

勿論、彼女が1人迷子になるという限りなく可能性の高い現実を忘れて。


「やっと見つけたのは俺だよ、瑞夏」


安心したようにくしゃりと笑う顔に、幼い頃の面影を見つけて少女も笑む。


「ちゃんとじっとしてたぞ!」
「うん、えらいえらい」


くすくす笑う少年は少女の髪をゆっくりと撫で、それからほっと息を吐いた。


「さて、秋くん達にも見付かったって連絡しないと・・・」


そう呟いて携帯電話を取り出した少年の後ろに、きらきらと光りながら回るものがあった。
少女は少年の両腕を掴んでその体から覗くようにそちらを見詰める。


「瑞夏?」


問われ、思わず強請るようにその顔を見上げた。


「燥一、あれ乗りたい!」


そう言って、きらきら回るメリーゴーランドを指差す。

子どもっぽい乗り物に、嫌だと言われるだろうと少女は予想していた。
だから、


「いいよ」


という言葉が返ってきたので、逆に慌てる。


「そ、燥一?無理しなくて良いんだぞ?」
「いいよ、乗ろうよ」


くすりと笑い、彼は彼女の手をとった。
不意に触れた体温に少女は思わず手を引きそうになったけれど、強く握られていたからそれも出来ない。

そうして混ざり合う温度はどうして心地よくて、知らず知らずの内に握り返していた。
そんな指先の力に気付いた少年は、無意識に満足げな笑みを零す。

引かれるままだったから、少女は少しだけ足を速めて横にいった。
少年の顔はいつも傍にあったというのに、今は高くほんの少しだけ遠く離れている。

それに疼いた心の原因を、彼女は考えぬままだったけれど。


「空いてる、良かった」


列を確認してそう言った少年は、楽しそうだ。
不思議に思った少女は、首を傾げて問う。


「燥一、メリーゴーランド好きなのか?」


それに対する返答は、彼を知るものからすれば予想外のもので。


「好きだよ。遊園地の中で、一番好き」
「昼間あんなに楽しそうにジェットコースター乗ってたのにか?!」
「うん」


しれっと答えた少年は、係員の女性に2人です、と告げてメリーゴーランドの柵の中へ入っていく。
連れられた少女はただただ一緒に足を動かすばかりで、乗りたいと思う馬が居ても通り過ぎてしまってはほんの少しだけがっかりした。


「綺麗だから」


よし、これにしよう。
少年が決めたのは黒い鬣に赤を基調とした飾りをつけた馬で、その顎の下を空いている方の手で撫でている。
それから少女を振り向いて乗るのを手伝うと、よいしょとその後ろに跨った。


「な?!お前あっち乗れよ、恥ずかしいじゃんか!」
「大丈夫、誰も気にしてないから。ほら、動き始めるよじっとして」


2人乗りでメリーゴーランドというのは映画やドラマの中のものだと思っていた少女は、顔を真っ赤にして飛び降りようとじたばたする。
けれどタイミングよく回転開始のブザーが鳴り、そのままの状態で馬はゆっくりと動き始めた。


きらきら、きらきら、橙色の電球が夜を押し返すように輝く。
夜に浮かび上がるメリーゴーランドは帰る家の灯りのようでもあり、少年の腕の中でもがいていた少女はすぐにそれに見蕩れた。

回転するそれの外は光に圧倒されて夜に沈黙し、平伏す。
その様を眺めていた少年は、気付かれぬよう少女の黒髪へ唇を落とした。


「メリーゴーランドは、完全に閉じているんだって」
「え?」
「回っても回っても同じ場所に戻ってくる、閉じた世界。完璧で、綺麗だと思うよ」


少年の言葉に頷きかけて、少女は口篭る。
それは確かに完璧で綺麗だけれど、どこか恐ろしいと思ったのだ。





くるくる、くるくる。
メリーゴーランドは回り続ける。


くるくる、くるくる。
馬達は、何処にも辿り着けず。





終了のブザーが鳴り、回転が減速を始めた。
そこで漸く顔を上げた少女は、少年を振り向いてしっかりと目を合わせる。


「でもな、燥一」
「ん?」


少女の必死な様子に、少年は首を傾げた。
落ち着かせようともう一度髪へ指を伸ばした瞬間、少女は言う。


「何処にも行けないなんて、悲しいよ」


指が、ぴたりと止まった。


「完璧な円で閉じてるのは綺麗だけど、でも、何処にも行けないのは悲しいよ。あたしは、形が変でも何処かに辿り着いた方が良いと思うぞ」


黙っている間、ずっと考えていたらしい。
珍しく難しい事をぐるぐる思案し言い切った少女は、何処か清々しい笑みを浮かべていた。

虚を突かれた少年は目を丸くしたけれど、すぐに苦笑する。


「うん、そうだね」


いつもは言い諭すばかりだというのに、この時ばかりは諭されてしまったからだ。


完全に停止した所で少年は先に木馬から降りると、少女へ手を差し伸べる。
少女はしっかりとそれを握り、ぴょんと飛び降りた。

ふらついた足元に、思わず少年へ抱きつく。
その拍子を見逃さず、彼は目の前にある額へそっと唇を寄せた。


「ごめん操一!!」


それを事故だと思っている少女は、体重を掛けてしまった事を詫びてがばりと体を引き離す。
少しだけ残念に思いながら、けれど少年は握った掌を離さずに首を振って出口を示した。


「大丈夫だよ。さ、行こうか」
「うん!」


元気よく頷いた少女は、満面の笑みで歩き始める。
それを見守る少年は、聞こえないように呟いた。


「まだまだお子様だね、瑞夏は」


仕掛けるのは、もう少し待った方が良さそうだ。
そんな少年の思惑など知らず、少女はきらきらと顔を輝かせながら言う。


「燥一、パレードが出てきたみたいだぞ!」
「うん、そうだね。秋くん達が見てる筈だから、そこまで行こうか」
「行くっ!」


昔と代わらない無邪気な笑みに、再発した人見知りを払拭できた事を悟り、少年は満足げに笑んだ。


「早く行くぞっ!」
「待って、瑞夏。秋くん達は逃げないから」


きらきら、きらきら。
輝きに、世界は夜に沈む。


メリーゴーランドをちらと振り向いた少年は、バイバイ、と小さく囁いた。
俺のお姫様は、どうやら完璧な世界をご所望ではないらしいから、と。



***



くるくる、くるくる。
否定した、円で閉じた世界


くるくる、くるくる。
今は、それが欲しくて仕方ないんだ。


くるくる、くるくる。
行き場を無くした想いが、回り続ける為に。







  *  目次  *