ははのひなんて、だいきらいだった。






09 : 影送り





「待ち草臥れて寝ちゃったわよ」


「・・・いつもすまない」


「いいえ?我が家には可愛げの無い息子しか居ないから、女の子は大歓迎!あ、秋くんも勿論よ?」


「それにしても、二人して仲良く寝てるなぁ。瑞夏がここまで燥一くんに懐くとは」


「うちの息子、野良猫を懐かせるの得意だから」


「なるほど。よーく分かった」


「ふふ」


「・・・で、今日は何が?」


「んー・・・まぁ、こればっかりは無神経な学校のシステムが悪いと思うんだけどね」


「ああ」


「お母さんの似顔絵を書いて、母の日にプレゼントしましょーって」


「あー・・・」


「今時やるなよ幼稚園じゃあるまいしって、燥一が言ってたわ」


「なるほど・・・」


「結局、私と純南ちゃんママの絵を描いてくれたらしいんだけどね」


「・・・・・・」


「どしたの?」


「やっぱり、瑞夏には母親が必要なのかなと」


「いや?」


「随分早いな返事!」


「だって、瑞夏ちゃんそんな事気にしてないもの。いたらいたで良かったでしょうけど、いないんだから気にしてないわよ」


「・・・そうか?」


「そうよー?親バカなお父さんとシスコンお兄ちゃんの愛情を一身に注がれて、お腹も胸もいっぱいよ」


「じゃあ、なんで今日はあんなに頬かぴかぴになるまで泣いてたんだ?」


「お母さんが居ない事でまたお父さんが落ち込んじゃうんじゃないかって。だったら泣かなきゃ良いんだけど、お父さんの事考えると悲しいんだってさ。びっくりするくらい泣いてたわ」


「・・・・・・」


「いつもお家では貴方と秋くんに気を遣ってるのね。ちっちゃいのに優しい子ねー瑞夏ちゃんは」


「・・・不甲斐無いなぁ、本当に。瑞夏にも秋弥にも大変な思いさせてばっかりで」


「もう、そうやってお父さんが落ち込むのが嫌なのよ瑞夏ちゃんは!ほら、ぴんと背筋伸ばしてにっこり笑って、いつも通り娘にデレデレなお父さんしてなさい!」


「な、デレデレとは失敬な!」


「傍から見てればデレデレよ!」


「デレデレしてない!」


「デレデレよ!」



ごそ、



「・・・母さん、おじさん、瑞夏が起きちゃうよ」


「あら、燥一起きてたの?」


「今起きた」


「そ。じゃあ瑞夏ちゃん離しなさい、帰るから」


「母さん、その言い方じゃまるで俺が瑞夏をさらったみたいだよ」


「瑞夏が欲しくば俺を倒してからだ!」


「・・・おじさんも。まったく。あぁほら瑞夏、手ぇ離して。おじさん来たから帰るよ」


「んぅ・・・玉子かけご飯・・・」


「はいはい、明日食べようね。おじさんはい、抱っこしたげて」


「あ、あぁ、ありがとう」


「忘れ物は・・・してもいっか、近所だもんね。燥一もありがとねーいつも助かるわ母さん嬉しい」


「母さん、棒読みだけど最後の方」


「だってー可愛げのない息子も良いけどやっぱり可愛い娘が欲しいんだもーん」


「瑞夏の服借りて着てみよっか?」


「ぶはっ」


「あーいけるかもいいねそれそうしよっか燥ちゃん!じゃあ明日瑞夏ちゃんの服借りに行くからよろしく!」


「よろしくって、本気か?!」


「本気よー♪ね、燥ちゃん?」


「一度くらいなら楽しそうだね」


「えー、似合ったらもっといっぱいやろ?」


「母親にそんな風に可愛く言われても、別に俺どきどきしないけど」


「ちぇーやっぱり可愛くない」


「・・・さて瑞夏、そろそろ帰ろうな」


「んー・・・だしまきたまご・・・」


「・・・明日は秋弥にお願いして玉子料理作って貰おうな」


「気をつけて帰ってね」


「おじさん、明日お昼食べたら遊びに行きます」


「おう、瑞夏に言っておく。じゃあ、二人とも今日もありがとう」


「はぁい、またいつでもどうぞー♪」


「おやすみなさい」


「ああ、おやすみなさい」



ガチャ、ぱたり。



***



「瑞夏、公園いこ」


そう言って連れ出された瑞夏は、腫れぼったい瞼を抱えながら外へ出た。


手を引かれ導かれるのに甘え、夏に向かって色を深める空と緑を眺めながら歩く。
其れに気付いている燥一は、段差がある時や曲がる時だけ声を掛けるだけでひたすら前へ進み続けた。

アスファルトから照り返す日差しは昨日より確実に温度を増し、遠くからは遊んでいる子どもの声が届く。
初夏を思わせるこの季節の土曜日は、けれど少年少女にとっては当たり前の毎日だった。


そうして着いた先は、桃色の象の滑り台が居るいつもの公園だ。
ブランコ、砂場、ジャングルジム・・・何処からやって来たのかどれも子どもでいっぱいで、二人の入る隙間は無い。


「燥一、何して遊ぶんだ?」


訝しげに聞いた少女に、少年は企み事をしている時の笑顔を返した。


「かげおくり」
「へ?」
「影送り、だよ」


聞き慣れない言葉の響きに、瑞夏は首を傾げる。
そんな様子はお構いなしに、燥一は太陽を背に影が二人の体の前に伸びるように立った。
手を繋ぎっぱなしなので、引っ張られた瑞夏も自然と伸びた影を目にする事となる。


「国語の教科書に載ってたんだけど、一度やってみたくてね。いい瑞夏、瞬きをしないで影を見てて」
「うん」
「そのまま十秒数えたら、今度は空を見上げる。それだけ。簡単でしょ?」
「・・・そんな事して、楽しいのか?」
「まぁいいじゃん、一緒にやろ?」


そう言われてしまえば、頷く以外の道を知らない。
分かったよ、と瑞夏は首を一度縦に振ると、ぎゅっと目を瞑って可能な限り水分を溜めた。


「いい?」
「うん」


返事をした瞬間に瞼を押し上げ、瑞夏は自分の影をじっと見詰める。


「いーち、にー、さーん、よーん、ごー、」


瞬きを堪える代わりに、繋いだ手を強く握ると燥一も握り返してきた。


「ろーく、なーな、はーち、きゅーう、じゅう」


早く瞬きをしたくて直ぐに空を見上げた瑞夏は、広がる青い空に浮かぶ白い影を見て目を見開く。
ゆらゆらと揺れるその残像に、息を忘れて捕われた。

風が吹いても、其れとは関係無く勝手に揺れる二人の形。
空から一足先に目を放した燥一は、動く事を忘れたような横顔を見詰めて柔らかく笑った。





其の後、色々なポーズ(バンザイやシェー、バルタン星人などなど)で影送りをしてひとしきり遊んだ二人は、空かせたお腹をさすりながら瑞夏の家までの道を辿った。
昨日の泣き虫は何処へやら、少女の顔は新しく覚えた遊びにきらきらと顔を輝かせている。


「あれすっごいな!載ってたのって本当に国語の教科書なのか?」
「そうだけど、なんで?」
「生活の教科書っぽい!」
「三年生になると生活は無くなって理科が始まるよ」


そっか理科かぁ、と楽しそうに呟いて、瑞夏は其の内容を想像した。
空元気ではないその様子に、燥一はやれやれと心の中で溜め息を吐く。そしてさも今思い出したように言葉を続けた。


「瑞夏のお母さんは空にいるでしょう?」
「・・・なんだよ、いきなり」
「さっきので瑞夏の影をいっぱい空に送ったから、母の日はこれでばっちりだなーって。直接は会えないけど、きっと喜んでると思うよ」
「・・・そ、っかな」
「そうだよ、きっと。だからおじさんにも、母の日はばっちりだよって後で話そうね」


父親が母の日を祝えない事に罪悪感を持っている事を知っている少女は、此れ以上は無理というくらいの勢いで頷いてくしゃくしゃに笑う。


「っうん!父さんきっと喜ぶなっ!」


少年は勿論、幽霊なんて信じていないし天国が空にあるとも思っていなかった。
けれど少女がこうして笑うのなら、幾らだって嘘をつく。そしてこんな嘘さえ許さない神なら、居なくていいと否定して。


「で、来月の父の日に何をするか考えようね」
「じゃあさじゃあさ、純南も誘って三人で全員分の父の日しよう!」
「うん、楽しそう」
「兄貴にお願いしてご飯も作って貰って、あ、そしたらうちに全員来て貰えば良いよな!それからっふぐぅ」


勢い良く喋りすぎて、どうやら舌を噛んだらしい。
痛みに涙を浮かべた瑞夏に苦笑して、燥一はよしよしと頭を撫でてやった。

くるくると目まぐるしく変わる表情は忙しくそして幼く、いつだって一生懸命だ。
まったく目が離せないんだから、と兄のような感慨を抱きつつ、燥一は最後にぽんと柔らかく髪を叩いて自分を見上げてくる黒い瞳を見詰め返した。


「い、いひゃかっひゃ・・・」
「勢い良く喋るからだよ。そんなに焦らなくても父の日までまだ一ヶ月もあるんだから、ゆっくり皆で考えようね」
「ひゃい」


眩しいほどの五月晴れ。
その下で澱んだ気持ちを抱え続けられる筈もなく、痛みに顔を歪めた瑞夏の口元は器用にもにやけていた。


「瑞夏は本当にお父さんが大好きだね」
「ひょ、ひょんなことらいもんっ」
「はいはい、そういう事にしておいてあげるよ」
「うー!」


からかうように笑い声をあげる少年と、抗議する少女の声が響く。

其れは青空に吸込まれ、先程まで送り続けた影のように吸込まれて消えた。
母の日に抱え続けた悲しい気持ちも、一緒に。



***



悲しさを潰すように、与え続けて貰った。
今更になって其の事に気付いてしまったあたしは、どうすれば良いんだろう。







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