「友達と映画を観てくるから、帰りが遅くなる」


僕の作ったお弁当を鞄の中に詰めながら、彼女はそう言った。
漸く食欲が回復したと思っていたら、誰かとまた遊びに行ける程にまでなっていたようだ。

安心して、笑みを返した。


「分かった。夕飯はどうする?」
「食べてくる」
「ん、了解。それじゃあ気をつけて行ってらっしゃい、お嬢様」
「いってきます」


横をすり抜けて行く彼女の髪から、ふわりと花の香りがした。
それに心臓が疼いたけれど、知らない振りをして背中に声を掛ける。


「ね、誰と行くの?」


キャプテンだろうか、同じクラスの女の子だろうか。
そう思いながらの、軽い問いだった。けれど。


「いっくん」


囁くような答えを追うように、玄関扉が閉まる。
ばたり、と響いた音。それに恐怖を憶えた。





彼女は何にえているというのか






「兄さん、一つ言っても良いか」

「なぁに」

「趣味が悪い」

「ぅ」




どうしてこんな事になってしまったんだ!
俺は、俺はただ死にたくなかっただけなのに・・・!

(絶望する男の前で、顔を白塗りにした悪魔が愉快そうに嗤っている)





「心配で彼女の後をつけようとするのもなかなか悪趣味だし」

「・・・反省してます」

「見失うし」

「意外に歩くの速いんだもん」

「当たりを付けて映画館に来たのに、彼女は居ないし」

「それはちょっとショックなんだよ?」

「チケット買っちゃったからと弟を呼び出すし」

「サク、大好き」

「挙句、選んだ映画は吸血鬼と人間の純愛ものときた」

「マリ好きかなーって思って・・・」

「どう考えても彼女は選ばないだろうこんな映画!」

「サク、声が大きいよ、静かに・・・」

「他に客が居ないんだから構わない!」




24時間以内にお前が最も愛する女の血を啜らなければ、結局お前は死んでしまうよ。
さぁ、行くが良い。そして、絶望の味を教えておくれ。

(悪魔がくつくつと嗤い、男はそれを睨んだけれど、結局は絶望に顔を歪ませた)





「ポップコーン食べる?」

「・・・兄さん、帰っても良いか?」

「ごめんなさい。謝るから話を聞いて下さい」

「・・・・・・」

「お願い、サク」

「・・・・・・で?」

「マリ、いっくんと映画を観に行ってくる、って言ったんだよ。どう思う?」

「・・・そういう渾名の友達が他にもいるんじゃないのか?」

「本気でそう思ってる?」

「・・・いや」

「どうしよう、マリは誰と会ってるんだろう・・・」




おい、どうしたんだ?お前、顔色が悪いぞ。
は?吸血鬼に?なんだそれ、頭がおかしくなったのか?・・・・・・本気で言ってるのか?

(事情を知った男の友人は、無理矢理笑顔を作って男の背中をさすった)





「・・・仮に、彼女がその相手を死んでしまった少年だと思っているとして。問題があるのか?」

「だって、いっくんはもう居ないんだよ?相手がいっくんだと思い込んでいるのか、誰も居ないのに誰かが居るんだと思っているのか・・・どちらにしても、不味いよ」

「食欲が回復しているんだろ?出掛けるだけの気力が出てきたんだろ?それなら良いじゃないか」

「そういう問題じゃないでしょ?」

「じゃあどういう問題だ?人間の尺度に当て嵌めて、彼女は心の病気だからカウンセリングを受ける必要がある、とでも言うつもりか?」

「そんなつもりは無い、けど」

「それとも兄さんは、あの少年に嫉妬しているのか?」

「そんなんじゃない!」




あぁ、俺が居なくなったら彼女はどうなる?あいつに奪われてしまうのか?
耐えられない、耐えられない、耐えられない!そうなるくらいなら、いっそ彼女の命を・・・!

(雨の中、激昂する男。最初は静かに、けれど次第に大きく、狂ったように嗤い始める)





「・・・すまない、言い過ぎた。だが、兄さんはやっぱり過保護すぎると思う」

「そう、かな」

「彼女は彼女なりに、あの少年の死を乗り越えようとしているんだろう?もうしばらくそっとしておいても良いんじゃないか?」

「・・・・・・」

「兄さんだって、あの当時はおかしかった」

「・・・サク」

「事実を言っただけだ」




(女の首筋に牙をたてた男。女は目を見開き驚くけれど、そっと男の頭を抱きこむ。その体温に気付いた男は、勢いよく離れて泣き出しそうなくらい顔を歪めた)

ああ、俺は何を・・・何て事を!すまない、すまない・・・!

(血を奪われた女は、力なく、けれど綺麗に微笑む)

いいの。貴方を失わずに済むのなら、私の血を飲んで?





「・・・本当、趣味の悪い映画」

「それに関しては同感だ」

「これを純愛って、人間は呼ぶの?」

「綺麗な名前をつけて、正当化したいらしい」

「こんなの、」

「エゴの押し付け合いだ」




お願い、お願いだから逝かないで・・・貴方は生きていて?

(男の肩に顔を埋め、首筋を差し出す女の息はもうか細い。差し出された血の香りに抗いがたい誘惑を覚えた男は、けれど、女を強く抱き締めただけだった)





「・・・僕らが」

「?」

「僕らは、本当に血を啜らないと生きていけないから。だから、エゴだと思うのかな」

「・・・さぁ。人間の事は分からない」

「ヒバリ君に聞いてみれば良いのに」

「あいつはもう人間じゃない」

「大事?」

「・・・最後まで、共にいる」

「そっか」




あぁ、どうして・・・君を失った世界で生きていけというのか!
お願いだ、俺の命を差し出すから、彼女を助けてくれ・・・!

(悪魔に向かって懇願する男。それを聞き入れた悪魔は、にたりと嗤い男の心臓へ長い爪を突き立てた)





「・・・こんな風に誰かを想えるのは、幸せなのかもしれないな」

「そうだね」

「だが、」

「置いていかれる側の気持ちを知ってしまったから、そんな風にはなれないよ」




(空から落ちた一筋の光に照らされ、悪魔が融ける。そして再構築された彼ないし彼女の背には、白い一対の羽があった)

あぁ、本当に人間は理解し難い。どうしてそうして他人の為に身を投げ出せるのか。

(天使が溜め息を吐く)

分かった、分かりましたよカミサマ。貴方の言う通りだ。試そうとした私が莫迦だった。
彼らは、――−

(彼ないし彼女が目を遣った先では、恋人達も同じように白い光に包まれていた。そして)





「行こう、兄さん」

「うん。マリにおかえりなさいを言わなくちゃ」

「兄さんの世界の中心は、本当に彼女なんだな」

「そうだよ、知ってたでしょ?」

「嫌というほどな」




(エンドロールが流れる)

(その後ろに、元通りの日常の中、幸せそうに微笑む二人が居た)





「ご都合主義なカーテンフォールも、僕は好きだけどね」


弟は振り向かず、先を歩いていく。


「現実は、そんなに綺麗じゃないよ。だから愛おしいし、大事にしたいと思うんだ」


呟きは、薄闇に溶けた。





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