かたかた震える足。


ごうごう吹き抜ける風。


本気でそれに、命を預けるつもりだった。







愛をぐ -9






父親はお医者様。
母親はお嬢様。

兄は学年主席を維持したまま医学部へ。
姉は若きお茶の先生。


アタシは、ただの荷物。








盗んだバイクで走り出せるほど勇気は無くて、けれど、問題児ではあった。
出席日数はぎりぎり、成績はもっとぎりぎり。


決して、恵まれていなかった、という訳ではない。


母親は、子どもの世話ができるほど自立した人間では無かったけれど。
兄は、勉強の出来ない末の妹に冷たかったけれど。
姉は、師である伯母の家に入り浸りで、ほとんど家に居なかったけれど。


それでも、必要なもの、いや、必要以上のものを与えられていた。


それなのに、心が満たされなかったのは、きっと、アタシが欠陥品だからだ。


そして父親に貰った言葉。


「役立たずでも育ててやったんだから、せめて私の連れてきた人間と結婚をして優秀な子どもを産みなさい」


そうだね、お父さん。
それくらいしか出来ないから、せめて、それだけでも、親孝行させて。


なんでだろう。
涙がでそうになって、堪えるのに必死だった。








引き合わされたのは、お父さんが仕事をしている大きな病院の、脳外科の先生。
冷たい目の人だったけれど、嫌われたくなくて、慣れない着物の苦しさを我慢しながら、一生懸命笑って話をした。

投げ掛けた言葉に、きちんと返事をして貰える。
それがとても嬉しくて、心から好きになれなくても、一緒に生きていけるかもしれない、と、思った。


やっぱりアタシは、欠陥品だった。








結婚をして、一緒に住み始めた。
家のお手伝いさん達に教わって、掃除も洗濯も料理もできるようなったから、生活には困らなかった。


おかえりなさいを伝えると、ただいまが返ってくる。
それが嬉しくて、いつも笑っていられた。


ああ、でも、夕飯を作っても、いつも外食をしてきたり、帰ってくるのが遅かったりして、残ってしまったご飯をどう処理するかが困ってしまった。
結局、次の日のアタシのお昼ご飯になるのだけれど、それでも多くて、仕方ないから空き地にいる猫にあげたりもした。

誰かに見つかると怒られてしまうかと思って、いつもどきどきしながら、こそこそあげた。
でも、猫たちはみんな美味しそうに食べてくれて、食べた後は足に擦り寄ってきてくれて、それがとても嬉しかった。


こんな事だけれど、役に立てている、という事実が嬉しかった。


その後も、旦那様が家で夕飯を食べない日々が続いた。
だから、夕飯を作る必要はないのか、聞いてみた。

そして、言われた。


「君はこれが政略結婚だって自覚は無いの?」


ある、と答えたら、忌々しげに溜め息をつかれた。


「だったら、干渉してこないで欲しい。僕達は表面上夫婦で在りさえすれば良い訳で、僕が何処でなにをしようと、誰を愛そうと、勝手だろう?」


ああ。
そうか、この人は、本当に愛している人の所へいつも行っているのか。

気付かなかったアタシが馬鹿なんだ。
それでも、涙がでてきそうになった。

けれど此処で泣いたら、もっと嫌わされてしまう。
それだけは、嫌だ。


だから、うん、ごめんね、と言って笑った。
顰められる眉。


「君には君の意志が無いのか?」


あるよ。
でも、アタシなんかに意志が、想いがあったって、みんなの邪魔になるだけでしょう?


だから、笑って誤魔化した。
せめて、父親の希望だけは、子どもを産むという義務だけは、果たしたい。

それだけ告げて、その日は眠った。








夢も、視たくなかった。








その日からは、淡々とした日々。
自分の為にご飯を作って、帰ってきてくれる旦那様の為に掃除と洗濯をして、月に一度だけ、子どもを作る為に抱かれる。


単調な日々は、慣れていた。
ただ、此の場所にさえ自分の居場所を作れないのか、と思ったら、泣きたくなった。


仕方ない、欠陥品なのだから。
そう言い聞かせる毎日に、疲れた。


子どもも、なかなかできなかった。
それを改善する為に病院に通い始めた頃には、心も体も疲弊していた。


「本当にお前は欠陥品なんだな」


ふらりと寄った実家で、久しぶりに父親から貰った言葉。
それで、生きる意味を失くしてしまった。








だから、高い高いビルの屋上へ行った。








靴を置いて、フェンスを越える。
どうして自分で自分を殺そうとする人は、靴だけ置いてきぼりにするのだろう。

幽霊は足が無いから、靴は要らない、ということなのだろうか。
そう思ったら、なんだか笑えた。


かたかた震える足。
生きることに疲れたというのに、死にさえ怯える欠陥品。


ごうごう吹き抜ける風。
足元から体を揺らすそれは、いっそ優しくさえあった。


フェンスを掴む指さえ離せば、すぐにでも地面へ向かって落ちていける。
頭では分かっているのに、けれど、なかなかできない。


ああ、やっぱりアタシ、駄目なんだ。
そう思ったら、涙が出た。


ぼろぼろ、ぼろぼろ。
体中から搾り出すように、その水が流れ落ちる。








そのままどれくらい時間が経ったのだろうか。
後ろから指をそっと触れられ、びっくりして振り向いた。


そこに居たのは、なんとなく見た目がよれよれの男の人だ。


「あの、」


死ぬのを止めてくれるのだろうか。
もしそうだったとしても、アタシはもう、生きている意味も価値も無い。


けれど、その人が次に発した言葉は、予想外のものだった。


「捨てる命なら、僕にくれませんか?」


その意味を咀嚼して、ぽかん、という顔を浮かべてしまった。
そして驚いて、涙が止まる。
言葉の意味がよく分からなくて、首を傾げて見せた。


「えぇと、具体的に、アタシをどうするつもりなの?」


死と隣り合わせの場所で、随分と間抜けな質問だった。
けれど、言葉が返ってきた事にほっとしたのだろう、男の人は頬を緩めて笑む。


その瞳が、なんだか温かくて、あげてもいいな、と思った。
捕まって解剖されて臓器を売り飛ばされてしまったとしても、信じたのがアタシなのだから、それはそれで仕方がない。

そう思わせる、温かさだった。


「とりあえず、こちら側へ来て貰えませんか?」


触れてくる指に、ほんの少しだけ力が篭もる。
それだけではアタシの体なんて支えられないのに、それでも、落ちないようにしてくれているのが分かった。


「・・・うん」


短く返事。
すると彼は、今度こそ微笑んだ。


夜の闇の中で、鮮やかに。





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