「あぁ、王子が欲しかったのに」


一言。
たったその一言で、祝福される中で生まれた王女は、嘘を塗り固めた道を歩き始めたのでした。





イバラ姫は、望んで指を錘へ刺す






伸ばした黒髪を一つに縛ったその王子は、黒曜石の瞳で茨の蔦に囲まれた城を眺めていました。
王子が生まれる前から在ったというそれは、言い伝えによると、百年の眠りについた絶世の王女がいるというのです。


けれど、その王女に興味はありませんでした。
興味があるのは、ただ一つ。


「今日こそ、あの茨を乗り越えたいな・・・」


切れども切れども生い茂り、侵入者を容赦なく阻むあの茨の蔦を、何としてでも抜ける事。


「そうすれば、お父様もわたしを認めてくれるだろうか・・・」


そう呟く唇は、王子とは思えないほどふっくらしていて、まるで珊瑚のような赤さです。
けれど、華奢な右の指先はしっかりと左腰に下げた片手剣の柄を握り、無駄の無い動作で抜きました。


「今日で駄目なら、もう諦めるから」


そう呟いたのは、これで幾度目でしょうか。
王子はここ数年、毎月必ず茨の蔦へ挑んでは、弾き飛ばされて大なり小なり怪我を負っているのです。


「本当に、今日が最後だから」


ぐ、と。
柄を握る右手に力を篭めました。


瞼を落とし、深呼吸。
そして再び開いた瞬間、王子は蔓延る蔦へ向かって剣を切り込み始めました。






おかしい、と王子は思いました。
どうしてかというと、いつもは襲い掛かってくる茨の蔦が、この日ばかりは身を引くようにするすると退き、道を作るからです。


「どうして、だ?」


掠れた声で呟いた問いに、勿論返事はありません。
だから王子は、右手に握った剣の存在を頼りに、ただひたすら歩き続けました。


しばらく歩いた後に辿り着いたのは、見事な前庭でした。
中央に配置された噴水は、けれどぴたりと水が止まっています。


「不思議だ・・・」


王子はそれに近づき、そっと指先で触れました。
水は勿論冷たくて、けれどぴくりとも動きません。


ふと先の方へ目をやると、剪定ばさみを持った庭師が居ます。
けれど、彼は目を瞑り、立ったまま眠っていました。


王子は躊躇いながらも、足を進めます。
次に向かったのは城内で、そこには沢山の人が居ました。


エプロンドレスを着た女中、警備をする兵士、重い本を持った大臣、小間使いの少年・・・
けれど、誰もがただただ眠っていました。

謁見室には勿論、王様とお后様が椅子に座って眠っています。
その安らかな寝顔はとても穏やかで、王子は何処か懐かしさを覚えたのですが、何時までも眺めている訳にはいきません。

歩を更に先へと進めたのでした。






城内を隅々まで見て回り、最後に辿り着いたのは庭の隅にある塔でした。
木戸は簡単に開き、中へ足を踏み入れます。

石造りのそれは、永い間手入れをする人間が居なかっただろうに、埃一つ無い綺麗な状態でした。
それを不思議に思いながらも、王子は目の前に現れたぐるぐると螺旋を描く階段を、ひたすら登り続けます。


段の途切れた先には、入り口と同じように木戸がありました。
一瞬躊躇いましたが、此処まで来て確認もせずに帰るのも癪です。

王子は扉に手を掛け、静かに押しました。


ぎぃぃぃぃ


音を立てて開いたその向こうは眩しい昼の光に溢れ、王子の視界を奪いました。
けれどすぐに慣れてきた黒の瞳は、室内にあるものを認識します。


大きな窓の傍に、天蓋のついた柔らかな寝台が、一つ。
そしてそこには、眠る誰かの影がありました。


「これが、噂の王女か?」


こつん、と足音を響かせて室内へ入ると、それに反応してか、王女の睫毛が微かに震えました。


こつん、こつん、こつん、


それに気付かない王子は、僅かな足音を鳴らしながら、寝台へと近づきます。
その間にも、眠っていた王女は覚醒の手応えを掴み、ゆっくりと瞼を押し上げました。


そして、天井から寝台に掛かる布を、王子が腕に掛けて除けた時。
目覚めた王女は、ゆっくりと上半身を起こしました。


紫水晶と黒曜石が、かちり、と見詰め合います。


一体どれくらいの間、そうしていたのでしょうか。


先に動いたのは、眠っていた王女でした。
慎ましやかに、けれど花の咲く瞬間のように頬を綻ばせ、微笑みます。


「ずっと、貴方をお待ちしておりました。僕の王女」


優しく告げられ、王子は言葉を無くしました。








魔法使いの見せた夢は、ある一人の王女の物語でした。


黒い瞳と髪を持って生まれた愛らしい王女は、けれど父親の「王子が欲しかった」という一言により、王子として育てられます。


そのおかしさを、王女は知りませんでした。
仕える人間達も、それを教えはしませんでした。

そして唯一王女を助けようとしていたお后様も、元々体が弱かったせいか、王女が幼い内に亡くなってしまいます。


それから後に嫁いできた新しいお后様はすぐに身篭り、生まれてきたのは正真正銘の王子だったのです。


その子を胸に抱きながら、王様は王女へ言いました。


「本当の王子でもない、かといって王子と公表してしまった以上は他国へ嫁がせることもてきない。お前はなんて役立たずなんだ」


意味が分からないだろう、と思っていたのでしょう。
けれど母親の庇護が無い中で生きる王女は、大人の言葉にとても敏感で、意味が分かった上で知らない振りをするのが上手だったのです。

王女は首を傾げ、意味が分からない、と仕草で伝えました。
それを見て、王様は鼻で笑います。


「もう部屋に戻りなさい」


そう告げられた王女は、幼いながらも完璧な動作で礼をすると、踵を返して扉を目指して歩き始めました。
控えていた女中が廊下へ続く扉を開け、外へ出るのを促した瞬間、王女は少しだけ振り向きます。

そこにあるのは、父親と母親、そして愛された子ども。


その輪に自分は決して入る事が出来ないと心に刻んだ王女は、睨むように前を向き、廊下へと出ました。
壁に掛けられた見慣れた絵画をやはり睨むように見詰めて歩き続けた王女は、自身の部屋へ辿り着き、大きな寝台へうつ伏せに倒れこみます。


誰にも見られていないから。
そう言い訳をして、たった一粒だけ涙を流し、王女は二度と泣かないと決めたのでした。






それからの王女は表情を消し、ひたすら勉学や剣、乗馬の練習へと打ち込みました。

幾ら先生方に褒められ、幾ら貴族達に持て囃されようとも、王女は決して努力を怠らず、王子として隙を見せぬよう暮らし続けました。


高価な洋服があり、満腹になるだけの食事を与えられ、温かな布団で眠りにつく。
けれど果たして、その生活は王女にとって幸せなものだったのでしょうか?


王女は絵本の中の、貧しいながらも肩を寄せ合い生きる家族へ憧れました。
そしてそれは、お金で買えないものだということも、勿論知っていたのです。


だから、望んではいけない、と。
そんなささやかな祈りさえも、七歳の時に握り潰したのでした。






それから三年後、王女は一つの目標を見つけました。
現在は魔法使いが統治をしている隣の領地。その地を昔治めていた王家の城を囲う茨の蔦を突破することでした。

その王城では、百年近く前から王様を始めとする住まう人間全員が眠りについてしまったらしく、侵入しようとすると茨の蔦が邪魔をしてくるのです。


もしもそれを突破し、王の首をとって領地を併合する事が出来たなら。
お父様は、自分を認めてくれるかもしれない。


そう考えた王女は更に鍛錬を重ね、月に一度、その茨の蔦へと挑み続けたのでした。


始めのうちは大怪我を負いましたが、幸か不幸か、王様はそれを露ほども気にしません。
だから王女は、誰に咎められる事もなく、ただひたすら挑み続けたのでした。


そして、ある日。
とうとう蔦に絡め取られ、命を落としたのでした。








その夢を見た次の日の朝、王子は大慌てで魔法使いに会いにいきました。


「いっくん!」
「おはよう、どうしたの?」
「夢!」


魔法使いへ詰め寄り、その両腕をきつく握った王子は、蒼白な顔で問い詰めます。


「あの王女、本当に生まれてくるの?!」
「うん、そうだよ。昨晩君に見せた夢は、俺の予知夢。推定で百一年後、君を守る為の茨の蔦が、彼女の命を奪う」
「っそんなのひどい!あんなに一生懸命頑張っていた子が、親にも愛されなかったあの子が、どうしてそんなにも悲しい最後を迎えないといけないのっ!!」


家族に憧れ、けれど手に入らないのならと心を閉ざしてしまった少女が。
どうして、どうして、そんなにも惨い目に遭わなければならない。


「防ぐ方法は無いの?!」


必死の顔で、息が掛かる程の距離で問い詰められた魔法使いは、驚いた顔で王子を見詰めていました。
けれど次に、くすり、と苦笑を浮かべ、柔らかな動作で王子の頭を撫でます。


「あるよ。だから、落ち着いて?」
「あるのなら、すぐに教えて!!」
「イーバーラーひーめ。落ち着いて、ね?」


再び言われ、王子は魔法使いから手を離して一歩後ろへ下がると、深呼吸をしました。


「・・・取り乱して、ごめんなさい」
「いえいえ。でも、良かった。君なら、そう言ってくれると信じていたんだ」


笑みを深めて首を傾げた魔法使いは王子の右手を取り、今度はそれをゆっくりと撫でます。


「優しい優しいイバラ姫。ねぇ、君は、自ら指を錘へ刺す勇気はある?」
「・・・・・・え?」
「よく考えてみて?あの王女が命を落とすのは、百一年後。君が眠りにつく予定なのは一年後」


ただ優しく手を撫でる魔法使いの指先が、そっと王子の右手の人差し指をなぞりました。


「それなら君が一年早く眠れば、それを阻止できると思わない?」


そう聞いた瞬間。
王子は魔法使いの腕を放り、再び駆け出しました。








早く彼女に会いたい。
それだけを、願って。








寝台に身を起こした王子は、優雅な動作でつま先を床へつけました。
裸足の肌に石のそれはとても冷たかったのですが、待ち侘びた王女を目の前に、そのような些細な事など気になりません。


「王女、本当に本当にお会いしたかったです」


立ち尽くした王女を余所に、クリーム色のドレスを纏った王子は腕を伸ばし、そのしなやかに鍛えられた体を胸へ引き寄せました。


「ようやく、抱き締める事ができました・・・」


貴方の悲しみを、少しでも分けて欲しかった。
貴方の飢えを、少しでも満たしたかった。

こうして抱き締めた所で、何が伝わる訳ではないけれど。
言葉にしたところで驚かせるだけだと知っていた王子は、ただただ想いを込めて、王女を抱き締めたのです。






その時、一陣の風が吹きました。
それは塔の窓をすり抜け、城を通り、庭の木々を、そして城を囲む茨の蔦を揺らしたのです。


庭師は再び、剪定ばさみを動かし始めました。
女中は洗濯をする為に城の裏へと足を運び、大臣は会議室へと向かいます。


城中が目覚め、そして動き始めました。
その中には勿論、王様とお后様もいます。


「・・・あらあら、百年が経ったのですね」
「おはよう、ヒバリ。それじゃあ、我らの息子を迎えに行くか」


相変わらず仲の良いお二人は、手を取り合い、息づく城内を歩き始めたのでした。






抱き締められた王女は、驚きのあまり身動きがとれませんでした。

このように、優しく抱き締められた事も、会いたかったと優しい言葉を掛けられた事も、初めてだったからです。


「な、ぜ・・・」


辛うじて、口だけが動きます。


「何故、見知らぬわたしにそのような事を?」


硬く強張った声に、王子は驚かせてしまったかと勘違いをして慌てて王女を離しました。
けれど両の肩へそっと手を乗せ、逃げられない距離で黒曜石の瞳を覗き込みます。


「驚かせてしまい、失礼致しました。実は、僕が眠りにつく前に、魔法使いが一つの夢を見せて下さったのです」
「・・・夢?」
「貴方がお生まれになってから、この城の蔦へ挑むようになるまでの物語です。覗き見だ、とお叱りになるやもしれません。ですが、」


そこで一旦言葉を切ると、王子は右手で王女の左頬を柔らかく包みました。


「お父上に認められたいと、努力を重ねる貴方の姿があまりにも美しくて、」


それは、恋焦がれるほどに。


「早くお会いしたいと思い、百年の眠りへ落ちる為に自ら人差し指を錘へ刺しました」


満ち足りた笑顔を浮かべていた王子は、けれど微かに表情を曇らせました。


「もしかすると、お嫌でしたか?」


不安げにそう尋ねられ、王女は反射で首を横に振ります。
とはいえ、このような好意を向けられた事が初めてだったので、王女はどう返事をして良いものか、大変悩みました。


けれど、そんな事など気にしない王子は、嫌ではないと示されただけで顔を笑みで彩り、堪えきれずに再び王女を抱き寄せます。


「あぁ、良かった!お慕いしております、僕の王女。しばらく共に過ごして頂けませんか?もしも貴方が僕を好いて下さるのなら、いつまでも共に居たいのです」


王子の左手が、無償の愛を込めて王女の黒髪を撫でました。


「僕は王女の格好をしておりますが、実は王子なのです。そして貴方は、王子の格好をした王女。世間体も、問題ないと思いませんか?」


くすくす笑い、王子は言葉を続けます。


「眠っている間、ずっとずっと考えていたのです。そうすれば、僕の国と貴方の国は友好関係になれますし、もしも貴方が望むのならば、貴方がイバラを名乗り女性として生きたって構わない。僕はどちらでも構いません!」


真摯に囁かれた言葉を、けれど王女は信じる事ができません。
このように優しくされた所で、いつか裏切られるのではないか。そう警戒する冷たい思考が、感情に波風を立てるからです。


「どうして、」
「え?」
「どうして、そのようなお気遣いを?わたしと貴方は赤の他人、今日初めて会ったばかりだというのに、」


掠れた声を一旦切り、王女は息を吸い込みました。
そして、吐き出すのに乗せて、言葉を言い切ります。


「優しくして最後に裏切るのなら、初めから与えないで頂きたい」


王女は、言ってしまってからとても後悔しました。
漸く自身を受け入れてくれる人と出会えたというのに、自分はなぜ拒絶しか出来ないのだろう。抉るような自己嫌悪が、その眉を顰めさせます。


けれど王子は、そのような言葉をものともしませんでした。


「王女、信じられないのならそれも仕方ありません。ですが、僕は本当に、貴方をお慕いしております。信じて頂けるまで、何度だってお伝え致しましょう」


王女は弾かれたように、間近にある紫水晶を見上げました。
そこに宿るのは誠実な光で、自分への悪意など感じ取る事ができません。


「本当、ですか?」


赤い唇から、震える言葉が零れ落ちました。
王子はそれを上手に掬い、目を細めて微笑みます。


「ええ、本当です」


そして、笑みの形の唇で、王女の額へ口付けました。


ふわり、と、再び風が通り抜けます。
その瞬間、王女の頬を一筋の涙が滑りました。


それは王女が幼い頃に封印した、綺麗な綺麗な雫でした。


「お願いです、僕の王女。どうか、共に居て下さい」


王女は、おずおずと王子の背中へ腕を回します。
そして、その体を抱き返しました。


喜び、王子も抱き締める腕へ力を込めます。
だから王子は、王女が瞼を落とし、唇へ微かに笑みを刻んだ事を知りませんでした。






その様子を、王子のご両親である王様とお后様は、扉の隙間からそっと見守っていました。


「ふふ、女の子を泣かせるようではまだ駄目ね、イバラ」
「ようやく本当の娘ができると思うと、嬉しいな」
「そうですわね、王様」


笑い合ったお二人は、そっと扉を閉じました。








「え?その後、どうなったかって?」


魔法使いは、真意の読めない笑顔を浮かべます。

その手元には、一冊の古い本。
開いたページに目を走らせてから、魔法使いはぱたりとそれを閉じました。


「無粋な質問だよ、君。いいかい、童話の終わりはね、」


硝子の嵌っていない窓から一陣の風が吹き込み、魔法使いの髪を揺らします。


「王子様と王女様は、幸せに暮らしましたとさ」


彼の瞳が見詰める先には、青い空と、咲き誇る薔薇に縁取られたお城が在りました。

その中で、今日も女装をした王子様と男装をした王女様が仲睦まじく暮らしているのでしょう。
めでたし、めでたし。





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