さよなら僕の人魚姫





「ねえエリサ、海の底ってどんな所?」
「んーっとね。青いとこ!」

無邪気に笑って答える彼女に手を伸ばし、目の前の黒髪をわしゃわしゃと撫でてやった。長く塩水に晒されていた筈なのに、それは綺麗な艶を持っている。
初めて会った時、不思議だねと伝えた。すると彼女は、人間の方が不思議だわ、どうして空気の中にいるのに干からびないの?と言うものだから、僕は思わず唸ってしまった。
あの日がやけに遠く感じる。

「それじゃあそろそろ行くね」
「うん。元気でね、エリサ」

真夜中の黒さが嘘だったみたいに、夜明けの海は青々と澄み渡っていた。
その背景に沈み、同化していた青銀の鱗が、ひょこりと水面に飛び出す。それは朝の光を弾いて輝いた。

「さよなら」
「うん。さよなら」

二度と会うことはないであろう僕の人魚姫は、別れを惜しむ様子もなく鮮やかに微笑んだ。
もう会えないのは寂しいな、と思うけれど、僕も大して別れを惜しんでなどいない。
決められていたこの日を迎えた、ただそれだけのことなのだ。

ぼけっとそんな風に考えている間にも、彼女は沖の方へ泳ぎだしていた。ぱしゃり、ぱしゃり。慎ましやかに水が跳ねる。
僕は慌てて立ち上がり、見えなくなるまで目で追い続けた。


最後にもう一度、青銀が煌めく。
そうして僕は、僕の人魚姫との別れを終えたのだった。



title *** これから失う涙



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