「ほら、マリ、じっとしてて」


さらさらの髪を束ね、大きなお団子にする。


鏡を手に持ち、それを黙って見詰める彼女の頬が、ほんの少しだけ緩んでいるようだ。


うん、気のせいかもしれないけれど。




ハロウィンといったらお菓子、
お菓子といったら甘い、甘いといったら、






繋いだ小さな手をぐいぐい引っ張りながら、人混みの中を歩いた。
たまに振り向くと、あまり表情を動かさない彼女の頭にちょこんと乗ったお団子、それを飾る赤地に白の水玉模様のリボンが、足の運びに合わせて揺れている。


「あ、マリ、パレードが来た!」


やけに人が多いと思っていたら、どうやらパレードの時間のようだ。
軽快な音楽に合わせて、着飾ったダンサー、大きなフロートが向こうからやってくる。


「踊りながら前へ進むのって難しいよね」


ぽつりと返されたのは、微妙にずれた言葉。


「あ、でも盆踊りなら進めるよ?」


肯定しつつ返した言葉も、微妙にずれた言葉。
くすくす笑うと、彼女は弱い力で背中を叩いてきた。

ほんの少しだけ顰められた眉、膨らんだ頬。
けれど、弾む後れ毛が、いつもより緩んだ口元が、窺うように見上げてくる漆黒の目が、この場を、浮かれた空気を、楽しんでいることを伝えてきた。


だから、嬉しくなって握った掌へ力を込める。
パレードの見える位置で足を止めると、彼女の体が腕へそっと寄せられた。


人が多いからだとは思うけれど、無意識のその行為につい笑んでしまう。
けれど彼女はそれに気付かず、やって来るパレードを見詰めていた。


黒猫、魔女、悪魔・・・様々な衣装に実を包んだダンサーが、楽しそうに前を通り過ぎていく。
それへ嬉しそうに笑って手を振る小さな女の子、その父親、恋人達。


その姿にも、幸せを感じた。
そして、彼女があんな風にはしゃぐ姿を想像する。

・・・上手く想像できなかった。


通りをきらきら流れていく様をじっと見詰めていたら、不意に彼女の指がこちらを強く握ってきて、視線を移す。
そこにあるのは、いつもと変わらない横顔。
けれど、繋いでいない方の手で、指先で、こっそりと。音楽に合わせてリズムをとっていた。

最大限に、顔が緩んでしまった。


「楽しいね、マリ」


腕に擦り寄る柔らかな体。
返事は勿論、期待していなかった。

けれど、パレードが全ていってしまった後。
歩き出す人波が発生する前に、この場を動こうと足を踏み出そうとしたその瞬間。


「うん」


俯いた顔から返事が飛んできて、つい抱き締めてしまった。
そして勿論、ぐーパンチを頂いた。


*


メリーゴーランド、コーヒーカップ、お化け屋敷、ジェットコースター。
至る所にカボチャが飾られた園内に鎮座するアトラクションを、彼女は物珍しそうに見上げ、そして感情を堪えた言い方で、ぽつりと漏らすように、乗る、と呟いた。

素直にはしゃげないのだろう。
その不器用さがもどかしく、同時にとても愛しかった。


だから、彼女の分まで自分がはしゃいだ。


「マリ、お城の前で写真を撮ろうっ」


「空飛ぶ像だよマリ、乗ろう乗ろうっ」


「あ、あの魔女さんてお菓子くれるらしいよ!トリック・オア・トリート!」


「マリマリ、ほらもうすぐ下り坂だよ、落ちるー!」


はしゃぐ僕、それについてくる彼女。

この構図であれば、きっと彼女は心置きなく楽しむことができるだろう。
そして勿論その歩みが重たくなったら、近くのベンチに座らせて、お茶と甘いお菓子を調達した。


細い体なのにどうしてか、彼女はそれらをすぐにぺろりと食べてしまう。
非日常の空間、浮かれた空気、人、その中に在る彼女を見詰めるだけでも楽しかった。


*


温かい日差し、秋の空の色。

季節感も現実感も極力排除された遊園地の中で、空だけがリアルだ。
リップクリームを塗ってくる、と呟いて居なくなった彼女を噴水の淵へ座って待つ間。ふと、彼女に似た「彼女」の事を思い出した。



 ぜったい一緒に、遊園地に行くんだ



その祈りにも似た願いは、結局、果たされなかったらしい。
思い出すその言葉が残っていたからこそ、今日、この場に彼女と一緒に来たのかもしれない。


「代わりに一緒に来ましたよ、百合さん」


居ない「彼女」の代わりに、天を仰いで苦笑した。
空の中に、今日は鳥さえ見付けられない。


*


慣れない人の多い場所へ一日中居たからだろう、暗くなる頃には、彼女の足の歩みが重くゆっくりとしていた。
それでも、髪を飾るリボンが軽快に揺れている気がするのは、気のせいだろうか。


「他に乗りたいものは無い?」
「うん。いっぱい乗ったから」


素っ気無い返事だけれど、その手にはしっかりとお土産の入った袋が握られている。

突然行こうと言い出した遊園地だけれど、引っ張ってでも連れてきたのは正解だったようだ。
そもそも彼女の身を包む服は、デニムのショートパンツと群青色のロングニット、黒のブーツ。

彼女がここ最近で一番お気に入りの洋服で、行きたくない場所には決して着ていかないだろう。


「楽しかったね。一緒に来てくれてありがとう」


目尻に皺ができるくらい最大限で微笑むと、彼女はこくりと一つ頷いた。
それから、ふと思い出したように首を傾げる。


「ねぇ、イバラ」
「んー?」
「トリック・オワ・トリートってどういう意味なの?」


質問の意味が、一瞬分からなかった。

本当に簡単な意味だ。
それさえ知らない彼女は、きっとそういう場所で育って来たのだろう。

分かってはいたけれど、無性に歯痒くなる。


「イバラ?」


顔を歪めてしまった自分を、彼女は見上げてきた。
そこには他の人間には読み取れないだろう気遣いが滲んでいて、しまった、と後悔する。


せっかく楽しい一日だったというのに。
最後の最後で、彼女をほんの少しでも気に病ませてしまったなんて。


「ごめんね、なんでも無いよ」


君は気にしないのかもしれないけれど、僕にとっては少し悲しい場所に居たであろう君の心を、抱き締めたくなっただけだから。

そうは告げずに、表情をなるべく自然に見えるよう笑みへ戻しながら、足を止めた。


「お菓子をくれなきゃ、いたずらしちゃうぞ!っていう意味だよ」
「お菓子、貰えるの?」
「ハロウィンの夜は、子どもはみぃんな仮装して、そう言いながらご近所さんのお家を回るんだよ」


夜に沈んだ遊園地、その片隅で向かい合って立つ。
彼女の白い頬が、近くの店の電飾できらきらと光った。


帰路につく家族、まだ乗ることのできるアトラクションを探して走り抜ける子どもの達、締めくくりにカフェでお茶をする恋人達。
それらを背景にした彼女は、どうしてだろう、どうしようもなく、浮いていた。


それが悲しくて、けれど打ち消したくて、もう一度目尻に皺ができるまで微笑む。


「マリ、言ったらお菓子、くれる?」
「え?」
「トリック・オワ・トリート!」


考える間を与えずに、言った。
それに驚いたのか、彼女は一度目を大きく開いてから、視線を左へ流す。


「・・・ずるい」
「言った者勝ちだよ?」


悪戯げに囁くと、彼女はむぅ、と呻いた。
そして漆黒の瞳が、何かを探すように宙を彷徨う。


約、三十秒。


そして彼女は思い至ったのか、くるりと回ってこちらへ背中を向けた。
ごそごそと鞄の中を探る音がして、何かを取り出す手の動き。

その手は顔へ近付き、そして再び鞄の中へ戻った。


再びくるりと回り、彼女がこちらを向く。
そして、何かくれるのかと掌を差し出そうとした瞬間には、長い睫毛が目前にあった。


掠め取るように、一度。
そしてもう一度、確かめるように。


落とされた唇は、確かに甘かった。


逃げるように素早く離れた彼女を、捕まえ損ねる。
だって。それは、あまりにも。


甘い痺れを伴うものだったから。


半歩下がった彼女は、挑むように眉を上げて、僕を強く見詰めていた。
挑発するような、漆黒の瞳。


「お菓子は、甘いでしょ?」


そう言って、彼女が首を傾げた瞬間。
その中に花火が映った。


パン、


音を鳴り響かせて咲いた夜空の花。
彼女がそれに一瞬気をとられている隙に、そっと近付いて腰に手を回し、耳へ唇を近づける。


「マリは本当、僕に甘い」


息を呑む音がした。
構わずそのまま耳朶に口付けてから、自分も花火を見上げる。


パン、パン、パン、、、


無意識の内に右手が彼女の左手を探し当て、そっと握った。
その体温が少しだけ高い気がするのも、気のせいだろうか?


澄んだ紺碧の空に、火花の色がひどく映える。
夏の花火のような郷愁は無いけれど、その分それは凄絶だった。


「・・・綺麗だね、マリ」


呟くと、首がほんの少しだけ縦に動く気配。
そして、握る指先に力が込められた。




そのままほんの数分。
花火が終わり、取り残されたように立ち尽くす。


「帰ろ、イバラ」
「うん」


途方に暮れかけた体を引っ張り歩き出した彼女は、相変わらず全体的に細かった。
何処にそんな力があるのやら。


「ねぇマリ」
「なに?」
「あのね、」


続けようと思った言葉は、飲み込んだ。
好きだよ、と。今もこれからもきっと、伝える日はこないだろう。


「どうして甘かったの?」
「何が」
「くちびる」


代わりに投げた質問で、彼女の動きが止まった。
それが可笑しくてくすくす笑っていたら、軽く脛を蹴られる。

併せて繋いだ手が離されて、しまった、と思ったけれど、それは鞄を両手で探る為だったらしい。
憮然とした顔でごそごそと肩から提げた鞄を漁る彼女の手は、数秒後、目の前へ差し出された時には何かを握り締めていた。


「これ」


そう言って開かれた掌には、ちょこんと乗ったリップクリーム。
カラフルな包装に描かれた文字は。


「・・・チョコレート味?」


神妙に頷く、彼女。


「・・・なるほど」


女の子の持ち物には、不思議なものが多い。


しげしげとそれを見詰めていたら、ぱたりと掌が閉じられ、再び鞄の中へ戻った。
そしてもう一度目の前に現れ、今度は空の掌を差し出される。


「早く帰ろ」


疲れたの、と付け足すその姿も可愛らしくて抱き締めたかったけれど、それをぐっと堪えて差し出された掌を受け取った。


「うん」


指を絡めてぎゅうと握り、もう一度笑む。


「帰ろう、マリ」


帰りたい家があることの喜びは、きっと彼女が教えてくれた。
そっと心の中でありがとう、と呟き、出口へ向かって足を踏み出す。

帰る場所、在るべき姿があるからこそ、きっと誰もが遊園地という非日常の場所へ来るのかもしれない。
そう思ったのも、勿論彼女が隣に居るからだ。


「マリ、」
「なぁに、お腹空いたの?」


大好きな大好きな目の前の彼女に、僕は何ができるだろう。
ずっと考え続けているけれど、未だに答えは出なかった。

だからせめて、どんな小さな言葉も拾い上げて、叶えてあげたい。そう思う。


「マリ、お腹空いたんだね。何食べたいの」


くすくす笑いながら聞き返せば、どうして分かったのという顔をしながらも、彼女はけれど即答した。


「納豆ご飯」


大爆笑した。





(ハロウィンといったらお菓子、お菓子といったら甘い、甘いといったら、 キス。)