桜は嫌いだ。 07 : 桜 はらはらと舞う桜の花びらから目を逸らしたのを、隣で歩く彼は聡く気付いたようだ。 気付かれた事に気付いていない振りをする。 気付いていない振りをしている事に、彼が気付く。 更に其れにも気付いていない振りをして・・・ 其処で馬鹿らしくなった彼女は、大きく息を吐いて彼の方に顔を向けた。 「なぁ」 「ん?」 「馬鹿らしいから止めようよ」 「何を?」 こうして逃げ道を用意する彼に、安堵すると共に苛立ちを覚える。 そして、そんな自分が嫌になるのだ。 踏み込まないで欲しいと望む自分と。 暴いて欲しいと願う自分と。 矛盾を抱える事に。 「・・・桜は嫌いだ」 そうして結局、自分から晒す。傷をなぞる行為は果たして正しいのか? 「どうして?」 「あいつと最後に話したのが、この季節だから」 そっか。ぽつりと落とすような返答は、遅れて届いた。 はらり、はらり。 風に飛ばされた花びらが舞う。 花の形のまま落ちた其れを地面から拾い、掌に乗せた。 そっと指を畳んで閉じ込める。逃げないように。 「信じられるか?別れる間際に、好きだよ、って」 「・・・あいつらしい」 彼はくすりと笑った。 其れに押されて、勢いで言い切る。 「あたしが目を白黒させてるのを見て大笑いした挙句、夏に帰って来るまでには答えを出してね、ってキスまでして居なくなったんだぞ」 はは、と堰を切ったように笑い出す彼の腕を掴んで揺すり、な、ひどいだろ?と自分も笑った。 はらはら、はらはら。 見事な桜並木を歩きながら、ひたすら笑う。 気付けば彼の指先が桜を抱き込んだ拳に触れ、優しく握り締めていた。 其の体温の冷たさに、ゆっくりと現実へ引き戻される。 見上げた彼の顔は、苦く柔らかい笑みに変わっていた。 「瑞夏さん」 講義の無い時間に脱け出して来た公園は、変な時間だからだろう人があまり居ない。 置いてきぼりを喰らった満開の桜の下で、彼は足を止めて彼女を抱き締めるような体勢で、そっと言った。 「泣いていいよ。俺はもう、充分泣いたから」 はらはら、落ちる花びら。 笑みに細まる、狐のようなつり目。 青く晴れた空に霞む、立ち姿。 瑞夏、 もう呼んで貰えない、声。 はらはら、落ちる桜の花びら。 「瑞夏さんが泣いても、俺は傷付かないから」 今、耳に届くのは、変声期を終えた大人の声。 其れが耳朶を柔らかく擽ったせいに、しても良いだろうか。 「ずっと一人で、我慢してたんでしょう?」 はらはら。頬を落ちる、涙。 「嫌だ、泣きたくない」 はらはら。はらはら。 「どうして?」 はらはら。止まらない。 「泣いたら、あいつが過去になる」 それでも涙は、止まらない。 「俺は、知らない振りをするから。ね?」 あぁ、そうやってお前もあたしを甘やかすんだな。 純南も、兄貴も、誰も彼もがあたしを甘やかして。 それに甘える自分が、心底嫌になる。 「っ、ばか」 落ちる涙が見えないように、目の前の腕の中へ顔を埋めた。 はらはら、はらはら、桜の花びらの落ちる気配。 ざわりと風が吹いたけれど、腕の中で庇われた。 「会いたい、よ」 言う度に、泣きそうになるのを我慢して。 そうして張ってきた意地が、今は惨めに崩れ去っていく。 「なんで居ないんだよ、」 八つ当たりをするように、涙で濡らした目の前のシャツを掴む。 「そう、いち」 久しぶりに紡いだ名前は、虚しく響いて。 涙の量が、増しただけだった。 はらはら、はらはら。 置いてきぼりにされたのは、桜か、あいつか、あたし達か。 指の中に閉じ込めた桜は、いつの間にか萎れてしまった。 |